山田彊一 ソウル個展 第3弾

山田彊一 ソウル個展 第3弾
三日目から本来の開催

夜のA1ギャラリーをウィンドウ越しに見る
 10月10日開始の僕のソウル個展は、前回のブログでも書いた様に作品配達が遅れ、2日目の夕方にやっと届き、その日の夜に展示して、3日目(10月12日)からやっと本来の個展展示となった。
写真右:展示が終わった夜のA1ギャラリーをウィンドウ越しに見る
 さて3日目の今日、もう僕は3時にギャラリーを去らねばならない。19時の航空チケットがすでに購入してあるからだ。自分の作品を飾ったギャラリーにいたのは3時間程だ。まあ、作品配達が遅れると分かった時点で諦めたのでショックはさほどないが。

 午前中にギャラリーへ行くと、オーナーがお昼をご馳走してくれることになり、今まで食べた韓国料理とちょっと違った料理をいただいた。いろいろな韓国料理をごちそうになったが、僕の韓国料理に対する感想は、具材はいろいろ変わっても結局どんなおかずでもご飯(米)とごちゃ混ぜにして食べることを韓国人は好むのだなあということだ。日本の丼ものや雑炊を食べている感覚になる。

ドジョウの天ぷら(右上)とドジョウ鍋 ご飯を入れて食べる
写真上左:ドジョウの天ぷらと味噌味のドジョウ鍋   右:そこにしそ入りのご飯を入れて食べる
 
 韓国でもおかずとご飯(米)は別になっているが、全部ご飯と混ぜて食べるのだ。日本でも鍋物など残った汁にご飯やうどん、餅などを入れて食べることはよくあるが、韓国では最初からご飯と混ぜて食べる。まずくはないが、毎回それだとちょっと飽きてくる。長い間の習慣から来るお国柄なのだろう。

A1ギャラリー玄関
 ところでギャラリーの入口に僕の作品の2メートル大のポスターが貼られたのには感激した。
写真右:僕の作品「名古屋美人妖怪」を拡大ポスターにして貼ったA1ギャラリーの玄関
 韓国人は何事にも大げさのようだ。このポスターは『名古屋美人妖怪』として描いた作品で、整形をしなくてもこれだけきれいだよ、とわが街名古屋をPRしたかったからだ。ついでに髪の毛の中に蛇を描いたからメデューサのように女は怖いよということも示唆している。これだけ大きいと通り過ぎる人には否応なく目に入る。これは地元知多半島出身の「唐人お吉」をモデルにしたものだ。
 尾張名古屋地方はその昔、美人の産地だった。どうして今、名古屋が日本3大ブス産地になったかというと、明治以後、名古屋の中で芸事に熱心で容姿も美しいといわれた名古屋娘は芸者として東京へ送られたからだ。新橋の芸者はほぼ名古屋人であったと言われている。

ショーウインド―に飾られている『従軍慰安婦と桜』
 今回持ち込んだソウル妖怪作品のうち韓国で問題を引き起こし警察に捕まるのではないかと恐れたのは、従軍慰安婦像の顔の部分に韓国国旗を描き、韓国人が自国こそルーツと言い張る桜をバックにあしらった作品(写真左:「従軍慰安婦と桜」)だ。相当の皮肉を加えたから多くの韓国人が騒ぐのではないかと思った作品だ。だが先回のブログでも書いた様に誰も従軍慰安婦像なんて気にしていない。日本大使館の前に置いてある像も日本人だけをターゲットにしているようだ。その証拠にこの作品は画廊の道に面したショーウィンドウの内側にかけてあるのにそれを見て騒ぐ人なんて今のところ誰もいない。ほんの少数の慰安婦関係の人や日本のマスコミが見つけたら騒ぐかもしれないが。そうなったらそれはそれで面白い。

 他に僕が面白いと思っている作品はバイアグラパンツをはいたカラス(写真下左)だ。僕が調べたところによると、韓国でカラスは精力剤として食べられ、バイアグラが市販されるまでソウルでは街中のカラスを市民が奪い合っていたという。1980年代の中頃になりバイアグラが市販されるようになるとカラスを捕まえる市民がいなくなり、ソウルの街にカラスが多くなったという。この絵はそんなところを皮肉ったものだ。「韓国の男は性欲が強くなると言われる食材は何でも食べていたわよ。今我々が食べているニラも、精力が付くから食べるのよ」とソウル女性に言われると、拍子抜けしてしまう。

写真下左:「ソウルのバイアグラパンツをはいたカラス」  
右:「韓国親子三大虎」

バイアグラカラスと虎三代作品

 他には韓国の国獣でもある虎を3匹積んだもの(写真上右)で、下に祖父、真ん中に父、一番上が子供がのっている。その3匹はみなしっぽが絡み合い、3代仲良く助け合っているというものだ。「親子3世代が仲良く助け合って暮らすいい国だ」ということを表わしている。今はとっくにこんなこと無くなっているかもしれないが、日本よりは儒教精神が残っているのではと考えたからだ。
 
牽牛と織姫作品
 その他の作品は韓国の風習などから考えた妖怪だ。万里の長城から飛んできてソウルの空気を悪くする粉塵(PM2.5)骸骨妖怪(写真右の左側)や、七夕の牽牛や織姫の妖怪(写真右の右側)。日本では7月7日に雨が降ると天の川が見えないとして嫌がられるが、ここ韓国では恋人たちはちぢみを食べて祝うという。降る雨は二人の流す汗や精液だからうれしいのだという。日本人よりやはりスケベ男女がこの国には多いようだ。あとの作品はニューヨークの妖怪と日本の妖怪の5点ずつ、それに僕の数点の版画を加えての展示だ。

写真下:ギャラリー内の作品の前の僕
ギャラリー内での僕

ケニヤでのパフォーマンス作品
 妖怪の意味を知らない韓国人は「なんだ、日本の漫画か!」と軽く見られそうだから僕の30年以上前の代表作の写真も展示しておいた。これは韓国のどんな偉い画家が来ても負けはしないと僕が自負するものだ。この作品は大阪トリエンナーレ展で賞をとったもので、ケニアで僕が行ったアートパフォーマンスの写真だ。
写真右:ケニヤでのアートパフォーマンス 

 僕は10メートル四方の赤い布に僕の版画を刷った作品をケニアへ持ち込み、10人の現地画学生とアートパフォーマンスをした。作品を広げた彼らはまずその大きさや強烈な赤色に感嘆の声をあげる。今度は10人分の頭を突っ込む穴をあけ、そこに彼らの黒い頭を入れる。八岐大蛇(やまたのおろち)ならぬ10頭のおろちが出来上がる。天性のリズム感がある彼らは自然と踊り出す。最後はその布作品を10等分のドレス状にしてそのまま着て各部落に帰るというものだ。この行為は世界中の誰もしていない。中日新聞には大きく掲載され、大阪トリエンナーレでも評判になった。

 こういったものが今回のソウル個展に展示された僕の作品だ。2週間続く個展の最初の三日間ソウルに滞在して観客の反応を見るつもりだったが、最初の二日間はパーになったので韓国人の反応はいまいちよくわからない。僕が帰った後10日間程はギャラリーに作品は展示されているから、なにか事件でも起き、訪韓することにでもなれば、またブログで書かせてもらいたい。


 でも僕の頭は今はもうこのことより、10月31日のハロウィンの大須でのイベントの方に向かっている。僕らのハロウィンイベント、よかったら見にいらしてください。フラッシュモブの様なものです。


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山田彊一 ソウル個展 第2弾 

山田彊一 ソウル個展 第2弾 
慰安婦像とソウルの街

朝のロッテタワー周辺
 前回のブログで、僕のソウル個展展示用作品がインチョン空港の税関でインボイスがないという理由で足止めを食らっている内容を書いた。その後どうなったのか。
写真右:僕の泊まったホテルに近いロッテタワー周辺の朝7時ごろの風景

 僕の個展は10月10日から始まるので、僕はこの日中部国際空港セントレアから早朝の便に乗り、インチョン空港に到着、そこからリムジンバスに乗りソウルで降車後、すぐにタクシーを飛ばしてギャラリーへ向かった。作品が届いていたらすぐさま展示にかかりたいからだ。インボイスがないという連絡を9月28日に受けた後、僕は2回インボイスを送っている。だから作品は届いている筈だろうと考えていた。

 ところがギャラリーには、作品は届いていなかった。韓国は9月30日から10月9日まで10日間の連休と聞いていたので、10月10日は連休明けの日だから心配はしていた。ギャラリーのオーナーからは「まだ届いていません。連休明けで品物が滞り、何日配達されるかもわかりません。」と告げられた。ということは作品が届くまで、何日に個展をオープンできるかということも分からないのだ。何ということだ!これで僕は今回の個展を万歳した。

 個展の面白さはオープニングにある。僕のこれまでの個展のオープニングには3~400人がやってきて展覧会を祝い、絵が欲しい人はそこで商談をしたりした。ニューヨーク個展では知り合いも少なくて70人程であったが。ここソウルではどうだろうか。ほんの少しいる韓国の知り合いにも日本から手紙を出しておいたが、連休の影響でハガキが届いていないと思われる。もちろん日本から手紙を出した時は韓国の連休など知る由もなかった。

ホテルから見たロッテタワー周辺の夜景ホテルから見たロッテタワー周辺の夜景

 誰を恨めばいいのか。日本の郵便局が予定通り確実にやっていてくれれば連休に入る2日前に作品は届いている筈だ。僕は余裕を持って個展のオープンの2週間前に作品を郵便局から送っている。日本の郵便局の「インボイスが届かないなんて1度もありません。」の言葉を信じるならば、韓国の税関がわざと日本人に嫌がらせをしたのかとも考えてしまう。しかし、一番の原因は郵便局で僕の荷物とインボイスを受け取った配送係がしっかり確認して送らなかったことだろう。

 さらに追い打ちをかけたのは、韓国が今年10日間の連休を決めたことだ。もとは飛び石連休だったのを景気を支えるために変えたようなのだ。韓国人ですら10連休になったことをよく知らず、ましてや郵便物が10日間以上ストップすること等、分かっていなかったようだ。分かっていたらその旨僕にギャラリーから連絡が入った筈だ。

 では連休明けの10月10日、すぐに連休中の郵便物を配送できるかというと、膨大な量の郵便物がたまっているから、それは無理で、僕の個展作品も何日の配送になるか分からないのだ。ギャラリーのオーナーはそれに気付き10日以後、幾度も空港の税関に電話を入れてくれた。税関側は速達用特別料金を払い業者に直接取りに来させる等してくれれば早く取り出すことは可能だと言うから、1秒を急ぐ身としてはその方法を使わざるを得なかった。それでも届いたのは個展2日目の午後6時だった。僕が払った特別費用は日本から送った料金並みになった。

 個展の初日と次の日は完全にパーになった。何時作品が届くかもわからないので、交通事故に遭ったと思って個展の成功をあきらめたら気が楽になり、ソウルの日本大使館前にある『従軍慰安婦像』を見に行ったり、ソウルの現代美術館へ行ったり時間を有効に使った。慰安婦像の前にはテントが張られ、マイクを持った数人が多分日本がいかに残虐かを叫んでいた。その周りにはパトカー等が数台停まり多くの警察官が警戒をしていた。像の前に行って写真を撮りたかったけれどトラブルになりそうなので止めておいた。

日本大使館前の慰安婦像 たくさんの警察官
写真左:日本大使館前の慰安婦像 正面からは取れなかった
写真右:警戒に当たる警官たち


 従軍慰安婦像について僕の出会った数人の韓国人に尋ねたが、ほとんどの人が聞いたことはあるがよく知らないという程度だった。一般のソウル人にとってはそんな些細なことどうでもいいという感じだった。北朝鮮のミサイルの件についても同じような認識だった。大陸と繋がり常に緊張した状態にいると、直接の恐怖でもない限り心配していたらきりがないのだろう。日本人は大げさに騒ぎすぎだとも言われた

ソウル現代美術館
 ソウル現代美術館の方は大きくモダンですごい建物だった。(写真右)名古屋の美術館なんて問題にならないくらいの規模だ。しかもシニアの僕は無料で、館内の撮影は欧米並みにオールOK。田舎名古屋と比べ物にならない。ただ豪華な箱物に対し企画作品は貧弱だった。作品の質が悪いのではない。作品の展示量が少ないのだ。きっと市は企画にはお金をかけないのだろう。この点は名古屋に似ているかもしれない。
写真下:機関銃とその影を投影した作品機関銃とその影を投影した作品

 個展をあきらめたこともあり、朝7時にはホテルを出て歩きまくった。韓国語が分からなくてもほとんど不便は感じなかった。声をかければ誰でも立ち止まり行く方向を教えてくれる。それに平均して尋ねた3人の内1人はそこそこの日本語を話せるのだ。

地下街にあるトレビの泉
 ロッテタワー下のでかい地下街を歩くと、めちゃ楽しい。地下街の中央にローマのトレビの泉そっくりの泉(写真右)があってびっくりした。日本ならこんな模倣施設は恥ずかしくて作らないが、韓国では平気のようだ。その泉の中央あたりにはキューピットの像とその足元に口を開けた30センチ程の壺が水中に沈んでいる。それをめがけてカップルたちが小銭を投げ込んでいる。ローマのトレビの泉にはない面白さをこっそり取り入れている。
写真下:カップルたちがお金を投げ入れる壺
キューピットと壺

 又泉の横には1個100円程の立ち食いのおでん屋や寿司屋があったりする。
写真下左:地下街のおでん屋  写真右:はんぺいを蛇のように伸ばしたおでん。1本80円程
地下街のおでん屋 おでんを食べる僕

 そしてその前をニューヨークのマンハッタンで見かけたようなコーヒー片手に職場に急ぐ若者も通り過ぎていく。いろんな要素が混じり合う雰囲気が楽しい。夜の11時ごろまで一人で僕はふらついていたが危険な雰囲気は感じられなかった。


「山田 彊一 ソウル個展」間近 

「山田 彊一 ソウル個展」間近 
だが作品はまだインチョン空港内

ソウル個展案内状
期間: 2017年10月10日〜23日
場所: 韓国ソウル、A1ギャラリー
テーマ: ニューヨークとソウルと名古屋の妖怪饗宴


 10月10日から僕の2回目のソウル個展が始まる。すでに60号17点の作品は郵便局から9月30日に送ってある。ところが数日前、インチョン空港の税関から「インボイス」(品物の内容を書いた送り状)の用紙が付いていないと連絡が入った。この書類がないと宛先の受取人は品物を受け取れないから早くインボイスを送れと言ってきた。日本の郵便局では僕はちゃんとインボイスを渡した。もちろんそれがないと郵便局は品物を受け取らない。

 そこで作品を送った郵便局にすぐに電話を入れる。電話に出た職員(苦情担当係と思われる)が配送に問い合わせ、配送係りからは僕の持ち込んだ作品のインボイスは確かに受け取っていますという返事が来た。僕はソウルの税関からインボイスがないとの連絡を受けたことを伝える。すると苦情担当係は「どうすればいいですかね」と僕に尋ねてきた。この質問に僕はびっくり。「なぜ僕に尋ねるの?すぐに向こうと連絡を取って解決してほしい。電話でもファクスでもいいから」と僕。苦情係は「お客さんのインボイスの写しはありますが郵便局から直接外国に連絡をとってはいけないし、第一韓国語の分かる職員はいません。お客さんの方で解決していただけませんか」ときた。
 
 こうなると僕も頭にくる。「郵便局は顧客の郵便物を届け先まで責任を持って届けるのが仕事でしょう。確かに承りましたと言って品物を受け取った以上、あなたの方で何とかすべきではないでしょうか。それに数十人の職員がいるのだから、韓国語は無理でも英語が分かる人はいるんじゃないですか」。係りは「はあ、はあ」というだけで歯切れが悪い。「インボイスも写しがあるのだからインチョンに送ってくれませんか」。僕はインチョン空港の税関の電話番号もしっかり教えた。係りは「はあ。分りました」と煮え切らない返事。

 この電話に至るまでに僕は今回の個展の仲介をしてくれた日本語を話せる韓国女性と連絡を取りいろいろ調べ、郵便局に3,4回怒りながら電話をしている。その日の最後の電話で係りの承諾の返事を聞いてこれでやっと解決したと思った。

 ところが翌日の昼、仲介の韓国人女性から「インチョンの税関ではまだなにも連絡がなくインボイスも届いていない、どうするのかと困っている」とまた電話が入った。もうびっくり。すぐに郵便局に電話を入れる。昨日の係りに取り次ぐように頼むと2時ごろなのに係りは昼食に行っていないという。帰ったら電話をするように頼んだが、ちっともかかってこない。しびれを切らしてこちらからかけると、係りはいた。いるのに電話をくれなかったわけだ。僕が「まだ空港インチョン空港にインボイスが届いていない。どうなっているのか」と尋ねると、答えにならないことをぶつぶつと言っていたが、結局係は叱られたことですべてが終わったと思って何もしていないことが分かった。どうも頭を下げて聞くだけの係りのようだ。

 この郵便局は客を馬鹿にしていると思い、誰でもいいから分かる人を出してほしいと要求する。すると上司が出て、「その件は今本部で相談中ですのでいずれ後ほど連絡を入れさせていただきます。」という返事。喋り方からいつもの逃げの手でいつ返事があるのかわからないと思ったので「こんないつでも起こりそうなこと本部へ相談かけなくてもマニュアルがあるでしょう」と応酬。ついに本当に頭へきた僕は「局長を出してほしい」と申し出た。すると変わりに部長が出た。部長はその前に部下から概略を聞き「申し訳ありません。すぐにインボイスの新しい用紙を持ってお宅に伺わせていただきます」と答えた。「本部で検討しています、なんで逃げるための嘘でしょう」と僕は問い詰める。「はあ」ときた。

 暫くして(と言っても30分後)部長と苦情係がやってきて、僕はもう一度インボイスを書くこととなった。インチョン空港のファックス番号は前に知らせてあったが、郵便局側で打つとは一言も言わない。郵便局では海外のファックスは使えないという。しかたなく僕は自宅の電話でソウルにファックスを打った。彼らは一応は謝ったが新しいインボイス用紙を持ってくる以外何もしてくれなかった。

 しかしこれでやっと解決かなと思ったら、仲介人から電話が入り明日から韓国は長期の連休に入り平常に戻るのは10日ですと言われた。10日は個展のオープンの日。この日ギャラリーの誰かが混んでいるだろう空港へ行って作品を受け取りギャラリーまで戻り展示する。展示するのに1日はかかる。最初に電話をかけた日にきちんと対処していてくれたらこんなことにならずに済んだのに。もうめちゃめちゃだ。これが企業なら謝るだけでは済まない。きっと裁判を起こすだろう。

 ここで僕は考えた。郵便局の中では苦情対処係を誰にするかきっと困っているはずだ。そこで上司が選ぶのは、叱られてもピンとこないスイマセンスイマセンと頭を下げまくれる部下。意味も分からず頭を下げる。だから約束したのに何もせず謝ったからそれでいいと思っている人を選んでこの係りにしているのではないか。会話が不可能で頭を下げまくられると、こちらはどうすればいいか。今の僕は、このブログで書いたことでまあ怒りも少し収さまった。

 でもさらに僕は考えた。郵便局員は「インボイスの紙が無くなるはずがない。だからそうした場合の対処法のマニュアルもない」といった。その話を信じるなら韓国の税関がわざとインボイスを廃棄して日本人である僕をいじめようとしているのかもしれない。そんなことはないと思うが、10日になってもまだ理屈をつけて作品を出してくれなかったら疑ってみるべきだ。あまりの理不尽さにこんなことまで考えてしまった。

 僕の個展自体の事やどんな出品作品かはまたこのブログに載せるつもりだ。1年前のニューヨーク個展に続く個展は少ししんどい。まだ1週間前バリ島での美術展を終えたばかりでもある。まあいい。限りある人生だから何時までも愚痴ったり振り返っている時間は僕にはない。

「バリ島芸術交流の旅」から帰る

「バリ島芸術交流の旅」から帰る
バリの芸大生らにアートを仕事として活かす方法を伝授

噴火警報の張り紙
 バリ島芸術交流の旅から帰国した。バリ島滞在の最終日の前日に、バリ島のアグン山で50年ぶりの大噴火が予測され、火山近くの8万人が避難したという出来事があった。噴火すると火山灰のおさまるまで10日ほど飛行機が飛ばないとの情報で、どうなることかと思っていたがギリギリのところで無事帰国できた。
写真右:ホテルロビーにに貼り出された噴火警報の張り紙

 今回の旅はバリでの美術展と、インドネシア芸術大学と愛知芸術文化協会との芸術コラボが目的だった。大学では副学長をはじめたくさんの要人の出迎えを受けて感激した。「国際的な画家に日本から来ていただけ光栄である」等と挨拶があった。

歓迎の会写真左:歓迎会風景
 僕らが利用しているツーリストの係りの人が大変有能で、ニューヨークでもサンクトペテルブルクでもそれぞれの地の大きな美術館を説得させて、我々の展覧会を企画してくれた。ただ展示発表する画家たちの画歴やレベルがなくては承知してもらえる筈もなく、代表者である僕の外国での個展歴や国内外の美術館での作品収蔵が当地の美術館関係者を納得させるものとなった。「山田さんがいなかったら全てのこのすごい場所での企画は成立しない」と言われるのはうれしい。僕も僕の画歴をうまく使う有能な係り(篠田さん)がいてこその企画だと感謝している。彼は美術にも詳しく僕の本も読んでいて交渉にあたっている。

 さて芸術交流だがこれは文化の程度や指導法に差があり、仕方ないことだけれど僕には不満だった。インドネシアの教授はバリ伝統の細密画のモノクロのコピーを持って来て、「さあ、これに色を付けて下さい。一度でなく色が濃くなるまで三度は塗り重ねてください」と指示した。いわゆるぬり絵だ。
写真右下:教授が配った細密画 これに色を塗る
ぬり絵の授業
 日本なら幼稚園児がやるレベルだ。それでも日本では個性を出すために色くらいは自由にぬらせるが、ここでは色まで指定された。助手が指定の色の絵具筆を我々に持たせ、手を取って我々にぬらせる。幼稚園どころか老人ホームの認知症の人扱いだ。貴重な時間をこんなことに費やさせるなと思ったけれど、今回の参加者の皆さんは優しい人ばかりで文句も言わずに2時間もぬっていた。まあ写経と同じで精神修行と思って参加した人達はやったのかもしれない。
 4か月前にロシアへ行った僕の仲間の主要メンバーなら「これが芸術か。田舎の日曜画家でもこんなことはしないぞ」と怒り出すだろう。国内外のコンクールに受賞や入選を繰り返している人たちだからだ。芸術本来の創造の精神、他人の物まねでなく自身のオンリーワンアートを生み出すことの重要性が分かっていない。写し取るのがアートと思っているのだ。

 だがまあこのぬり絵にも理由がある。百年ほど前このバリはオランダの統治下にあったので、オランダやドイツの日曜画家がやってきて人々に模写絵を指導し、それがバリ芸術のルーツになっているのだ。その後1980年頃からバリが観光地として脚光を浴びるようになると、これらの素朴でバリ特有の異国情緒あふれる絵に人気が出て外国人(特に日本人)が土産として買い求めるようになった。
写真下:バリの画家の絵
バリの画家の作品 バリの画家の作品 (2)
売れるようになると作品数を増やす必要が生じ、小学生にも色塗りをさせてお金を稼がせたという。まあこの結果、よかったことは、バリのそれぞれの家が自分達も絵を買って部屋に飾り出したことだという。小さな国なのに画家が多いのはこんなことにも影響しているのだろうか。
 
 さて昼からもこの続きをやらされるかと思っていたら、今度は現地の美術大学の学生が10人程会場へやってきた。だがお互いの連絡がうまくいっていなかったため、彼らは何をやるのか分からずきょとんとしている。どうも日本側の指示を受けよと言われて来ているらしい。何をやらされるのかという不安感と「このおジンやおバン達に何が教えられるのか」といった不信感も漂っている。

学生が制作したお面と悪魔の絵
 さあ大変。実は僕はこの交流会に代表を頼まれて参加したのであってワークショップの企画には携わっていない。企画係りの一人が日本から鬼やおかめ、ヒョットコと言ったお面を10個程持って来ていた。しかも油性のペンまで用意していた。だが彼女はどう仕切っていいかわからず、困っている様だった。そのことを確認した僕はすぐにアドリブで「このお面を使ってバリの神様か悪魔の面を描いて下さい」と伝えた。また午前中に我々に与えられた画用紙を配って、これにも同じ物を描き、この作品は日本へ持って帰り展示しますとも加えた。これで彼らの顔つきが変わった。日本で展示されたらすごい自慢になる。
写真右:制作したお面と悪魔の絵を持つ女子学生

制作したお面をつけた学生達
 その折に、僕がくどく強調したのは「アートはオリジナルです。島の神や悪魔を描くのではなく自分の作った神や悪魔を描いてください」だった。
写真左:制作したお面をつけて全員で記念撮影
 ここでさらに僕は彼らを引き付けるためと、まあサービス精神とで、学生たちに絵でもってお金儲けができる技法を伝授した。僕が名古屋芸術大学で教えていた頃、学生に伝授していたアイデアだ。Tシャツへ絵を刷る簡単な方法や似顔絵の描き方、壁画等の仕事のとり方(セールスの方法)などで、卒業してもほとんど仕事のない芸大生のために教えていたものだ。

お供え用の花
 さてこのバリの芸大生(彼らとて芸術絵画だけで全員が食べていけるとは思えない)に僕は何を教えたのか。バリの建物の隅には必ずカラフルな花の神様へのお供え物(写真右)がある。翌日にはその花を撤去して、別の花が供えられる。神様に供え使われた花はごみとして捨てられる。僕はこの捨てられる神聖な花を使って絵や文字を描き、空港で相合傘やちょっとしたカットを加え千円で売りだしたら、いつまでも別れたくない愛し合う二人は必ず購入すると思った。バリでこの技法を薦めるのは神に供えた神聖な花が無尽蔵にあり、ごみを無くし公害防止にも役立つからだ。

草花をぬる学生
 「花や葉が絵具代わりになるなんて信じられませんでした。本当にきれいな色が出ますね」と学生たちに言われた。
写真左:草花で作品に色を塗る学生
 多分数年後にはこれで大儲けする学生が出るのではと思う。この作品、10年程経ても色は品よく変色し作品の面白さを増してくれる。この技法、やっているのは世界で僕だけだと思う。色を塗るのは絵具という固定観念から脱却し様々な材料で描くことに挑戦する、このような独自のアイデアを出せることが真の芸術家だと自負している。3,4年後にはもう一度バリに出かけ確かめてみたい。


ハロウィンで僕等は妖怪に化け大須を歩きます

ハロウィンで僕等は妖怪に化け大須を歩きます!

大須ハロウィンのお知らせ (1)  大須ハロウィンのお知らせ (2)
写真上左右:大須ハロウィンのお知らせ

パレードに向かう途中の地下鉄で
 昨年(2016年)、僕のニューヨーク個展の折、お手伝いに来てくれた画家仲間とニューヨーク、マンハッタンのハロウィンに参加した。赤い着物に緑色のかつら、草履をはいて、手には妖怪人形を抱かえた出で立ちだった。
写真右:パレードに向かう途中の地下鉄で

メンバーの一人である豊橋の人形作家が、そのおどろおどろしい妖怪人形を制作してくれたのだ。全員このスタイルであの怖い(と言われていた)ニューヨークの地下鉄にも乗った。けれど怖いどころかぎゅうずめの車内でも乗客のニューヨーカーは興味津々でフレンドリー、皆から写真を撮らせてと頼まれ僕らはそれに応じた。ハロウィン当日だったから仮装した人はいっぱいいたが、みな西洋風の仮装スタイルで日本的な仮装の我々はとても目立っていた。駅構内を守るお巡りさんも喜んで僕等と一緒にスナップ写真におさまってくれた。

パレード出場の準備中 パレード参加中  
写真上左:パレード出場の準備中の僕  右:フラッシュを浴びながら歩く
 参加した仲間たちはパレードの行進中、例えばカンヌ映画祭でレッドカーペットの上を歩くくらい興奮し緊張したという。沿道を埋め尽くす何万人もの見物人の中をカメラのフラッシュを浴びながら歩くのだ。
 
ニューヨークハロウイーン (300x200)
 ところで最近では、東京でもハロウィンが盛んになり渋谷付近で様々な仮想をした人々が歩き回り、ニューヨークに負けない賑わいであるという。ところが名古屋では市民がシャイなのか、名駅や栄をハロウィンスタイルで歩く人がいてもまばらで盛り上がらない。ニューヨークのように市が動いて道路を封鎖して祭りを盛り上げる気もなく寂しい限りだ。
写真右:ニューヨークのハロウィン

 そこで僕(名古屋をアートで面白くする美術家の会・代表)はニューヨークの経験も生かし、名古屋でニューヨークの再現をしたいと思う。行政や市民に同じ事をやりたいといっても新しいことに消極的なこの地は、このために動いてくれるわけもなく、まずは僕らが自主的にやって盛り上げ、きっかけを作ろうと思っている。場所は古くからの門前町であるけれど新しいものを受け入れてくれる大須が最適だと考えている。以後大須商店街や市が動いてくれるのを願っているのだが。大須も以前は大須ういろうの社長やアメ横の会長がこんな面白いことにはすぐに賛同して動いてくれたが、今はまとめる人がいないらしいのだ。


 そこで皆さん、もし興味がありましたらカボチャのお面や妖怪のスタイルで一緒に歩くなり、見物するなり、どんな形でもご自由に参加してください。名古屋を面白く盛り上げていきましょう。そして訪れたい街の最下位を脱しましょう。
日時:10月31日(火) 5時pmより6時pm
場所:大須ふれあい広場(別名、招き猫広場)商店街東南に集合
   そこから大須観音まで歩く。あとは自由に、流れ解散。


大須ふれあい広場
大須ふれあい広場  大須ハロウィンのお知らせ(3)



カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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