『山彊創作 名古屋妖怪画集』出版にむけて

『山彊創作 名古屋妖怪画集』出版にむけて

 4年前にワイズ出版から出した『名古屋力・妖怪篇』がよく売れて、アマゾンの2017年上半期では全出版物の中でベスト20に入った。(写真下)
ネット上の僕の本の宣伝

 そして読まれた皆さんから今度は僕が独自に創り出した妖怪の画集が出ないかという要望をたくさん受けた。そこで『名古屋力・妖怪篇』に登場した妖怪を中心に、アクリル画による60号(約畳1枚サイズ)の大きさの妖怪を36体描き直した。大きくしただけでなくいろいろ面白いアイデアを付け加えたり、前にはなかった新しい妖怪も描いた。『名古屋力・妖怪篇』は僕の挿絵が入っているものの、文が主体の本だった。僕は絵描きが本業だから絵が中心となる本も出版したいと思ってのことでもある。

 僕の調べるかぎりこの地は歴史もあり妖怪的な話題も多いのに、文や絵として残されることが少ないように思う。特に感じるのは名古屋城から木曽へつながる尾張藩主の落ち延び街道は、そこへ人々を寄せ付けないための怖い話や妖怪話を尾張藩は広めているのに人々は恐れるだけで、その裏の事実を知らないし知ろうともしないことだ。僕の先祖はこの落ち延び街道(僕は妖怪街道と呼んでいる)地区に400年前から住んでいる。だがただ怖いから行くではないと代々教え告げられているだけだ。そんなこともあり今回僕はそれをあぶり出し、まとめて画集にしたいと思っている。

 ところで造り酒屋へ養子に来た僕の親父の祖先は御殿医だったが、親父の父親(僕の祖父) の代(大正から昭和の初めの頃)には茶花道の師範をしており、僕の親父は見目が良かったからか実父に弟子として連れられ様々な集まりに参加し、見聞を広めていた。僕に似て好奇心旺盛な親父は名古屋の妖怪話を含む数々の情報を仕入れ、それを息子に伝えてくれたことが今になってみると幸いしている。妻の両親の家系も大須の本町筋で金貸し業を営んでいた生粋の名古屋人なので、そこからの情報も大いに役立った。僕の親父も妻の両親も認知症になることもなく、特に僕の父はよくしゃべり90歳を越えても元気で、徳川園等の行政の歴史調査にもよく協力していた。僕の住んでいる徳川園北辺りは明治の瀬戸電開業時、瀬戸の陶工目当ての遊郭街であったという。こんなネタなど明治生まれの親父しか知らないだろう。それが徳川園周辺が住宅地化すると上飯田あたりに移り、さらに戦争で焼けて城東園に移ったということだ。昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは賑わっていた。親父は僕にとって小泉八雲の妻、せつや水木しげるののんのんばあであったわけだ。

 これから、僕が創り出し描いた36体の妖怪をこのブログで順次2体ずつ絵と文で紹介していこうと思っている。何か意見や問題があればご指摘いただきたいと思っている。修正して1年後には図鑑的な画集にしたいと考えている。

①『名古屋カッパ』(無三殿さん)
場所:名古屋市中川区塩釜神社内や笈瀬通付近
無三殿大神
 カッパ(河童)には地域によっていろいろの呼び名があったが、この地の「無三殿さん(むさんどさん)」(尾張藩武将松平康久入道無三の社殿)という呼び名は、PRが下手な土地柄か、一般的な呼び名のカッパに負けてしまった。PRが下手ということは目立つことを善しとしない保守的な気風から来ることもあり、この地においてすら「無三殿さん」の名が残る西日置塩釜神社付近以外では知る人はほとんどいなくなってしまった。
写真右:名古屋市中川区西日置にある塩釜神社無いの無三殿大神、後ろの石の祠にはカッパの好物キュウリが供えられている

 さてカッパは唯一神様にまで出世した妖怪といわれる。普通カッパは人々を川に引き込んだりして殺そうとする悪者でもあるがこの地では違う。逆に川でおぼれた子供を救ったとして、この地だけは『人助けのカッパ』として人々に親しまれている。それにここのカッパはお尻が大好きで痔を治す根抜きをしてくれるともいう。地元民から親しまれていたためこの地にはカッパ市という市場も以前にはあった。

 そんなこともあり他府県と違う名古屋の良さをPRするため僕の妖怪図鑑では真っ先に取り上げることにした。名古屋の丸八マークのパンツをはいて頭にはお皿ではなく真ん中が四角く空いた寛永通宝の形の皿が乗っている。水の入った皿はお金儲けにつながりカッパを拝むとお金持ちになると言われているが、僕の描いた名古屋カッパの皿は、ズバリ銭形の皿だ。儲けたお金をしっかりため込んで冠婚葬祭の折には思い切って使えるようにするためだ。寛永通宝の四角の穴に飼われた金魚は預金と繋がる。カッパに金歯があるのもその延長線だ。 
 僕の友人は娘を嫁がせる折、名古屋市内の1億円の土地を持参金として持たせた。大阪育ちのお婿さんの親がその土地に小さな家を建ててくれたと思ったら、なんとそれは新婚夫婦二人が30年のローンで返す契約だったという。彼は大阪人に嫁がせたことを嘆いていた。
 下は僕が創作した名古屋カッパだが、画面中、カッパの指に乗る豚は痔ろうを治してもらいご機嫌になっているところだ。

『名古屋カッパ』(無三殿さん)
名古屋カッパ

②『妖怪鬼饅頭』
場所:名古屋から岐阜のあたり

店で売られている鬼饅頭
 小学校1年で敗戦を迎えた僕は、母が国からうどん粉(メリケン粉)の配給があると焼け跡の土地で作ったサツマイモをさいころ状に切ってうどん粉と混ぜ蒸してイモ饅頭を作っていたのを覚えている。これを鬼饅頭と名古屋人は言う。少ない配給量の貴重なうどん粉だけ使うともったいないから当時は安価だったイモで量を増やすのだ。言ってみればこのイモ饅頭は貧乏人の、ケチな食べ物なのだ。この名前に鬼が付いたのはイモ饅頭ではいかにもまずそうだからだろう。田舎っぽい女性を悪く言うイモねーちゃんという言葉もありイメージとしては悪い。その点、鬼にすると武家的なイメージが加わり、いかにも食べると強くなりそうだからではないか。うどん粉の間から出ているイモの一部が鬼の持つ金棒に似ているからだと言う説もある。
写真右上:この地方だけで売られている鬼饅頭

 名古屋人はなぜか強そうなイメージに弱く、鬼と言う呼び名が大好きなのだ。だがこれ女性には評判が悪く、我が家でもほとんど妻や娘は手を出さない。姫饅頭というネーミングにすると売れるかも。けれどあの外見では姫とは付けにくいが。

 鬼と言えば鬼殺しというネーミングの辛口のお酒も全国にある。これも同じような感じで付けた名ではなかろうか。この名を最初に付けたのはこの地区の酒造元の愛知の清州桜醸造か岐阜の老田酒造ではないかと言われている。

 この鬼饅頭も含めた名古屋の3大ケチ名物をご存じだろうか。あとの二つはきしめんとういろうだ。きしめんは平うどんと言えばいいのに希少で高価なキジ肉にあやかって名を付けられたと聞く。でも本当は薄くすると早く茹で上がり燃料費が少なくて済むからだろう。ういろうも少ない米粉を膨らますことによりかさを大きく見せるというケチ根性が隠されている。

 僕の描いた『妖怪鬼饅頭』は雷様や孫悟空のように雲に乗っている。その雲は鬼饅頭でできており、イモはきんとん雲のように黄金色だ。妖怪の頭も金棒も鬼饅頭だ。ネクタイはもちろん名古屋の丸八マーク模様。雌のうさぎにはやはり受けないようで、ちょっと逃げ腰だ。


『妖怪鬼饅頭』
妖怪鬼饅頭
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名古屋の画家に見てほしい「長沢芦雪展」

名古屋の画家に見てほしい「長沢芦雪展」

芦雪展ポスター
会場・愛知県美術館
期間・2017年10月6日〜11月19日

 先日「長沢芦雪展」を愛知県美術館で見て来た。最初は行かないつもりだった。というのはソウル個展から帰ってすぐに大須でのハロウィンパフォーマンスを計画しており、それの立案計画や準備、さらに一緒にやるメンバーとの打ち合わせなどで忙しかったからだ。加えて高山への風景画の1泊旅行もあったので「芦雪展」は見に行っている暇はないなと考えていた。またそれに加え見てきた人達の感想が芳しくなかったこともある。アートに造詣が深い筈の画家ノロ燐さんにまで「伊藤若冲と比べると物足りないな」と言われると行く気を失くしてしまった。
 特に10月31日のハロウィンのことが、いろいろ気になっていた。僕の知り合いや生徒の30人程の女性画家を集めてのパフォーマンスは失敗が許されない。たくさんいる僕の教え子の行政マン、特に警察関係の教え子たちには「山彊先生、何かしでかす時は僕等に許可を求めないで勝手にやってください。無視をしますから」と言われているので、当然無届けの行動になる。ゲリラ的に、できればフラッシュモブのようにやりたいと思っている。しかしこのご時世、何が起こるか分からない。その場合は僕が全責任をとる覚悟を決めていた。

 そんな中、10月30日の中日新聞の夕刊を見ていて目に留まったのが芦雪の猫を取り上げた写真と文章だった。決まり文句の文や絵ではなく、目をなぜか止めさせるものだった。中日新聞の記事は、ただ表から普通に作品を見るのではなく、絵の中に隠されたおもしろさを自分で見つける楽しさを示唆しているようで、引き込まれる内容だった。
 
 この翌々日には愛知県美術館の学芸員の方が我が家にみえ、11月18日(土)の午後、県美で催される加藤好弘さんの映画『いなばの白うさぎ』(ゼロ次元)に関していろいろ質問や相談をされた。芸術家でゼロ次元に関係のあった人、あるいはよく知っている人はだんだん鬼籍に入っている。
 1960~70年代に美術界、演劇界を中心に起こった前衛運動の名古屋版であるゼロ次元運動は数々の美術雑誌に取り上げられたので、いずれ芦雪のように美術史に残ると思う。半世紀前の驚嘆する映像だから、興味と暇があればぜひ見に行くことをお勧めしたい。その折学芸員の方に「芦雪展」の招待状をいただいた。そんなわけでハロウィンに参加するため横浜から里帰りしていた娘や孫を連れて即、長沢芦雪展に出かけた。

6枚の襖に描かれた虎図
写真上:和歌山無量寺の6枚の襖に描かれた虎図
 さて芦雪展を見た感想だが、なんといっても圧巻はポスターに使われている無量寺の襖絵の巨大な虎図(写真上)だろう。高さ1.8m、幅1.2m程の襖6枚のスペースに一頭の虎がはみださんばかりに描かれている。しかもその表情や動きがよく日本画に見られる狩野派的な典型的な虎の絵とは違っている。眼光鋭く今にも獲物めがけてとびかかろうとしているのに、よく見ているとちょっとかわいくもある。芦雪の作品は江戸時代のものなのに斬新で遊び心全開だ。なぜこんなすごい作品がこの時代にお寺の襖絵として描けたのかという点でも感心する。

 僕も数回、寺院から襖絵や天井画の注文を受けている。すると名古屋人である僕はまず、注文主の住職がどんな絵を描いてほしいと望んでいるかを考えてしまう。次に寺を訪れる檀家の人々はどんな作品を望むかを考える。もうこれで描く作品は斬新さのない普通のものとなってしまう。これは名古屋人特有の思考なのだろうか。そうならば名古屋の画家は見る人の目を意識して閉塞感で動きが無くなっているのではないだろうか。そう考えると名古屋の画家達にはぜひ芦雪展を見てほしいという気になった。

写真下左:僕が名古屋の信楽寺の注文に応じ描いた襖絵(金張り)作品、3重の塔や唐獅子を描く。
写真下右:〃(銀張り)、龍や妖怪を描く。お寺へ納める前に愛知美術館で展示。

信楽寺襖絵(金) 信楽寺襖絵(銀)

 芦雪が和歌山県の寺の襖という空間にかくも雄大で斬新な絵を描けたのは、京都(平安)絵師というブランドがあったことは否めない。彼の描いたものには「平安芦雪写」の署名がある。当時の京都は幕府や藩の権力が及ばず、室町時代から経済力を蓄えた上層町衆の洗練された美意識が共有されていた。そのエスプリに応えたのが応挙であり、その弟子芦雪は師である応挙の画風やデッサン力を完璧に習得し、それに加えて伝統におさまらない気風も持っていた。芦雪を僕が師の応挙並みに評価するのは、彼が師から狩野派がするように技法だけを受け継いだのではなく、師の新しいことをよしとする思考も受け継いだところに偉大さがあったからだ。応挙の静的な写実に対して芦雪は動的な写実の作品も生み出したが、虎図はまさにそれを体現したものといえる。

虎図の裏に描かれた魚を狙う猫
 僕が虎図を見て感動したのは、実は虎図そのものだけではない。勇壮な虎が描かれた襖の裏に、魚のアユを狙う子猫を描いたことだ。
写真右:虎図の裏に描かれた魚を狙う猫(部分)
 この子猫が表に描かれた虎にそっくりで、魚から見た子猫はその表の虎に匹敵するという内容なのだ。これを見た僕は「うわ、やられた」と思った。なんという遊び心であろう。この襖の裏表を見て、その狙いに気付くものが何人いるだろうか。それでもこっそり描き込む。この作品1点だけでも芦雪は偉大だと僕は評価する。

 僕も来年末か再来年に出版する予定の『山彊・古今名古屋妖怪図鑑』にこのような遊びを全作品に入れている。一見すると「何だこれは?」と思うが、よく考えるとなぞが解けるようにしている。たとえは家康の祖父が殺された『守山崩れ馬妖怪』では馬の顔を骸骨にして、おでこには織田の家紋がある。だが下の方を見ると小さなモグラがしきりと馬山(?)を崩しているのだ。
写真下左:僕の妖怪画集に載せる『守山崩れ馬妖怪』全図
写真下右:下部に描かれたモグラ図のアップ

守山崩れ馬妖怪 馬妖怪の下部に描かれたモグラ

 芦雪に遊び心があったのはやはり京都の文化芸術が洗練の域に達し、見る人々の美意識に余裕が生まれたからだろう。このようなことはまず名古屋人にはない。名古屋人は伝統をしっかり守り、そこからはみ出ることを善しとしない保守的で遊べない者たちなのだ。日本でも派手になってきているハロウィンが何故か名古屋では今一つ盛り上がらないのもそれに起因しているかもしれない。そんなこともあり僕らは今年、名古屋でも盛り上げてやろうと画家の視点によるハロウィンをやってみたわけでもある。





山田彊一 ソウル個展 第3弾

山田彊一 ソウル個展 第3弾
三日目から本来の開催

夜のA1ギャラリーをウィンドウ越しに見る
 10月10日開始の僕のソウル個展は、前回のブログでも書いた様に作品配達が遅れ、2日目の夕方にやっと届き、その日の夜に展示して、3日目(10月12日)からやっと本来の個展展示となった。
写真右:展示が終わった夜のA1ギャラリーをウィンドウ越しに見る
 さて3日目の今日、もう僕は3時にギャラリーを去らねばならない。19時の航空チケットがすでに購入してあるからだ。自分の作品を飾ったギャラリーにいたのは3時間程だ。まあ、作品配達が遅れると分かった時点で諦めたのでショックはさほどないが。

 午前中にギャラリーへ行くと、オーナーがお昼をご馳走してくれることになり、今まで食べた韓国料理とちょっと違った料理をいただいた。いろいろな韓国料理をごちそうになったが、僕の韓国料理に対する感想は、具材はいろいろ変わっても結局どんなおかずでもご飯(米)とごちゃ混ぜにして食べることを韓国人は好むのだなあということだ。日本の丼ものや雑炊を食べている感覚になる。

ドジョウの天ぷら(右上)とドジョウ鍋 ご飯を入れて食べる
写真上左:ドジョウの天ぷらと味噌味のドジョウ鍋   右:そこにしそ入りのご飯を入れて食べる
 
 韓国でもおかずとご飯(米)は別になっているが、全部ご飯と混ぜて食べるのだ。日本でも鍋物など残った汁にご飯やうどん、餅などを入れて食べることはよくあるが、韓国では最初からご飯と混ぜて食べる。まずくはないが、毎回それだとちょっと飽きてくる。長い間の習慣から来るお国柄なのだろう。

A1ギャラリー玄関
 ところでギャラリーの入口に僕の作品の2メートル大のポスターが貼られたのには感激した。
写真右:僕の作品「名古屋美人妖怪」を拡大ポスターにして貼ったA1ギャラリーの玄関
 韓国人は何事にも大げさのようだ。このポスターは『名古屋美人妖怪』として描いた作品で、整形をしなくてもこれだけきれいだよ、とわが街名古屋をPRしたかったからだ。ついでに髪の毛の中に蛇を描いたからメデューサのように女は怖いよということも示唆している。これだけ大きいと通り過ぎる人には否応なく目に入る。これは地元知多半島出身の「唐人お吉」をモデルにしたものだ。
 尾張名古屋地方はその昔、美人の産地だった。どうして今、名古屋が日本3大ブス産地になったかというと、明治以後、名古屋の中で芸事に熱心で容姿も美しいといわれた名古屋娘は芸者として東京へ送られたからだ。新橋の芸者はほぼ名古屋人であったと言われている。

ショーウインド―に飾られている『従軍慰安婦と桜』
 今回持ち込んだソウル妖怪作品のうち韓国で問題を引き起こし警察に捕まるのではないかと恐れたのは、従軍慰安婦像の顔の部分に韓国国旗を描き、韓国人が自国こそルーツと言い張る桜をバックにあしらった作品(写真左:「従軍慰安婦と桜」)だ。相当の皮肉を加えたから多くの韓国人が騒ぐのではないかと思った作品だ。だが先回のブログでも書いた様に誰も従軍慰安婦像なんて気にしていない。日本大使館の前に置いてある像も日本人だけをターゲットにしているようだ。その証拠にこの作品は画廊の道に面したショーウィンドウの内側にかけてあるのにそれを見て騒ぐ人なんて今のところ誰もいない。ほんの少数の慰安婦関係の人や日本のマスコミが見つけたら騒ぐかもしれないが。そうなったらそれはそれで面白い。

 他に僕が面白いと思っている作品はバイアグラパンツをはいたカラス(写真下左)だ。僕が調べたところによると、韓国でカラスは精力剤として食べられ、バイアグラが市販されるまでソウルでは街中のカラスを市民が奪い合っていたという。1980年代の中頃になりバイアグラが市販されるようになるとカラスを捕まえる市民がいなくなり、ソウルの街にカラスが多くなったという。この絵はそんなところを皮肉ったものだ。「韓国の男は性欲が強くなると言われる食材は何でも食べていたわよ。今我々が食べているニラも、精力が付くから食べるのよ」とソウル女性に言われると、拍子抜けしてしまう。

写真下左:「ソウルのバイアグラパンツをはいたカラス」  
右:「韓国親子三大虎」

バイアグラカラスと虎三代作品

 他には韓国の国獣でもある虎を3匹積んだもの(写真上右)で、下に祖父、真ん中に父、一番上が子供がのっている。その3匹はみなしっぽが絡み合い、3代仲良く助け合っているというものだ。「親子3世代が仲良く助け合って暮らすいい国だ」ということを表わしている。今はとっくにこんなこと無くなっているかもしれないが、日本よりは儒教精神が残っているのではと考えたからだ。
 
牽牛と織姫作品
 その他の作品は韓国の風習などから考えた妖怪だ。万里の長城から飛んできてソウルの空気を悪くする粉塵(PM2.5)骸骨妖怪(写真右の左側)や、七夕の牽牛や織姫の妖怪(写真右の右側)。日本では7月7日に雨が降ると天の川が見えないとして嫌がられるが、ここ韓国では恋人たちはちぢみを食べて祝うという。降る雨は二人の流す汗や精液だからうれしいのだという。日本人よりやはりスケベ男女がこの国には多いようだ。あとの作品はニューヨークの妖怪と日本の妖怪の5点ずつ、それに僕の数点の版画を加えての展示だ。

写真下:ギャラリー内の作品の前の僕
ギャラリー内での僕

ケニヤでのパフォーマンス作品
 妖怪の意味を知らない韓国人は「なんだ、日本の漫画か!」と軽く見られそうだから僕の30年以上前の代表作の写真も展示しておいた。これは韓国のどんな偉い画家が来ても負けはしないと僕が自負するものだ。この作品は大阪トリエンナーレ展で賞をとったもので、ケニアで僕が行ったアートパフォーマンスの写真だ。
写真右:ケニヤでのアートパフォーマンス 

 僕は10メートル四方の赤い布に僕の版画を刷った作品をケニアへ持ち込み、10人の現地画学生とアートパフォーマンスをした。作品を広げた彼らはまずその大きさや強烈な赤色に感嘆の声をあげる。今度は10人分の頭を突っ込む穴をあけ、そこに彼らの黒い頭を入れる。八岐大蛇(やまたのおろち)ならぬ10頭のおろちが出来上がる。天性のリズム感がある彼らは自然と踊り出す。最後はその布作品を10等分のドレス状にしてそのまま着て各部落に帰るというものだ。この行為は世界中の誰もしていない。中日新聞には大きく掲載され、大阪トリエンナーレでも評判になった。

 こういったものが今回のソウル個展に展示された僕の作品だ。2週間続く個展の最初の三日間ソウルに滞在して観客の反応を見るつもりだったが、最初の二日間はパーになったので韓国人の反応はいまいちよくわからない。僕が帰った後10日間程はギャラリーに作品は展示されているから、なにか事件でも起き、訪韓することにでもなれば、またブログで書かせてもらいたい。


 でも僕の頭は今はもうこのことより、10月31日のハロウィンの大須でのイベントの方に向かっている。僕らのハロウィンイベント、よかったら見にいらしてください。フラッシュモブの様なものです。


山田彊一 ソウル個展 第2弾 

山田彊一 ソウル個展 第2弾 
慰安婦像とソウルの街

朝のロッテタワー周辺
 前回のブログで、僕のソウル個展展示用作品がインチョン空港の税関でインボイスがないという理由で足止めを食らっている内容を書いた。その後どうなったのか。
写真右:僕の泊まったホテルに近いロッテタワー周辺の朝7時ごろの風景

 僕の個展は10月10日から始まるので、僕はこの日中部国際空港セントレアから早朝の便に乗り、インチョン空港に到着、そこからリムジンバスに乗りソウルで降車後、すぐにタクシーを飛ばしてギャラリーへ向かった。作品が届いていたらすぐさま展示にかかりたいからだ。インボイスがないという連絡を9月28日に受けた後、僕は2回インボイスを送っている。だから作品は届いている筈だろうと考えていた。

 ところがギャラリーには、作品は届いていなかった。韓国は9月30日から10月9日まで10日間の連休と聞いていたので、10月10日は連休明けの日だから心配はしていた。ギャラリーのオーナーからは「まだ届いていません。連休明けで品物が滞り、何日配達されるかもわかりません。」と告げられた。ということは作品が届くまで、何日に個展をオープンできるかということも分からないのだ。何ということだ!これで僕は今回の個展を万歳した。

 個展の面白さはオープニングにある。僕のこれまでの個展のオープニングには3~400人がやってきて展覧会を祝い、絵が欲しい人はそこで商談をしたりした。ニューヨーク個展では知り合いも少なくて70人程であったが。ここソウルではどうだろうか。ほんの少しいる韓国の知り合いにも日本から手紙を出しておいたが、連休の影響でハガキが届いていないと思われる。もちろん日本から手紙を出した時は韓国の連休など知る由もなかった。

ホテルから見たロッテタワー周辺の夜景ホテルから見たロッテタワー周辺の夜景

 誰を恨めばいいのか。日本の郵便局が予定通り確実にやっていてくれれば連休に入る2日前に作品は届いている筈だ。僕は余裕を持って個展のオープンの2週間前に作品を郵便局から送っている。日本の郵便局の「インボイスが届かないなんて1度もありません。」の言葉を信じるならば、韓国の税関がわざと日本人に嫌がらせをしたのかとも考えてしまう。しかし、一番の原因は郵便局で僕の荷物とインボイスを受け取った配送係がしっかり確認して送らなかったことだろう。

 さらに追い打ちをかけたのは、韓国が今年10日間の連休を決めたことだ。もとは飛び石連休だったのを景気を支えるために変えたようなのだ。韓国人ですら10連休になったことをよく知らず、ましてや郵便物が10日間以上ストップすること等、分かっていなかったようだ。分かっていたらその旨僕にギャラリーから連絡が入った筈だ。

 では連休明けの10月10日、すぐに連休中の郵便物を配送できるかというと、膨大な量の郵便物がたまっているから、それは無理で、僕の個展作品も何日の配送になるか分からないのだ。ギャラリーのオーナーはそれに気付き10日以後、幾度も空港の税関に電話を入れてくれた。税関側は速達用特別料金を払い業者に直接取りに来させる等してくれれば早く取り出すことは可能だと言うから、1秒を急ぐ身としてはその方法を使わざるを得なかった。それでも届いたのは個展2日目の午後6時だった。僕が払った特別費用は日本から送った料金並みになった。

 個展の初日と次の日は完全にパーになった。何時作品が届くかもわからないので、交通事故に遭ったと思って個展の成功をあきらめたら気が楽になり、ソウルの日本大使館前にある『従軍慰安婦像』を見に行ったり、ソウルの現代美術館へ行ったり時間を有効に使った。慰安婦像の前にはテントが張られ、マイクを持った数人が多分日本がいかに残虐かを叫んでいた。その周りにはパトカー等が数台停まり多くの警察官が警戒をしていた。像の前に行って写真を撮りたかったけれどトラブルになりそうなので止めておいた。

日本大使館前の慰安婦像 たくさんの警察官
写真左:日本大使館前の慰安婦像 正面からは取れなかった
写真右:警戒に当たる警官たち


 従軍慰安婦像について僕の出会った数人の韓国人に尋ねたが、ほとんどの人が聞いたことはあるがよく知らないという程度だった。一般のソウル人にとってはそんな些細なことどうでもいいという感じだった。北朝鮮のミサイルの件についても同じような認識だった。大陸と繋がり常に緊張した状態にいると、直接の恐怖でもない限り心配していたらきりがないのだろう。日本人は大げさに騒ぎすぎだとも言われた

ソウル現代美術館
 ソウル現代美術館の方は大きくモダンですごい建物だった。(写真右)名古屋の美術館なんて問題にならないくらいの規模だ。しかもシニアの僕は無料で、館内の撮影は欧米並みにオールOK。田舎名古屋と比べ物にならない。ただ豪華な箱物に対し企画作品は貧弱だった。作品の質が悪いのではない。作品の展示量が少ないのだ。きっと市は企画にはお金をかけないのだろう。この点は名古屋に似ているかもしれない。
写真下:機関銃とその影を投影した作品機関銃とその影を投影した作品

 個展をあきらめたこともあり、朝7時にはホテルを出て歩きまくった。韓国語が分からなくてもほとんど不便は感じなかった。声をかければ誰でも立ち止まり行く方向を教えてくれる。それに平均して尋ねた3人の内1人はそこそこの日本語を話せるのだ。

地下街にあるトレビの泉
 ロッテタワー下のでかい地下街を歩くと、めちゃ楽しい。地下街の中央にローマのトレビの泉そっくりの泉(写真右)があってびっくりした。日本ならこんな模倣施設は恥ずかしくて作らないが、韓国では平気のようだ。その泉の中央あたりにはキューピットの像とその足元に口を開けた30センチ程の壺が水中に沈んでいる。それをめがけてカップルたちが小銭を投げ込んでいる。ローマのトレビの泉にはない面白さをこっそり取り入れている。
写真下:カップルたちがお金を投げ入れる壺
キューピットと壺

 又泉の横には1個100円程の立ち食いのおでん屋や寿司屋があったりする。
写真下左:地下街のおでん屋  写真右:はんぺいを蛇のように伸ばしたおでん。1本80円程
地下街のおでん屋 おでんを食べる僕

 そしてその前をニューヨークのマンハッタンで見かけたようなコーヒー片手に職場に急ぐ若者も通り過ぎていく。いろんな要素が混じり合う雰囲気が楽しい。夜の11時ごろまで一人で僕はふらついていたが危険な雰囲気は感じられなかった。


「山田 彊一 ソウル個展」間近 

「山田 彊一 ソウル個展」間近 
だが作品はまだインチョン空港内

ソウル個展案内状
期間: 2017年10月10日〜23日
場所: 韓国ソウル、A1ギャラリー
テーマ: ニューヨークとソウルと名古屋の妖怪饗宴


 10月10日から僕の2回目のソウル個展が始まる。すでに60号17点の作品は郵便局から9月30日に送ってある。ところが数日前、インチョン空港の税関から「インボイス」(品物の内容を書いた送り状)の用紙が付いていないと連絡が入った。この書類がないと宛先の受取人は品物を受け取れないから早くインボイスを送れと言ってきた。日本の郵便局では僕はちゃんとインボイスを渡した。もちろんそれがないと郵便局は品物を受け取らない。

 そこで作品を送った郵便局にすぐに電話を入れる。電話に出た職員(苦情担当係と思われる)が配送に問い合わせ、配送係りからは僕の持ち込んだ作品のインボイスは確かに受け取っていますという返事が来た。僕はソウルの税関からインボイスがないとの連絡を受けたことを伝える。すると苦情担当係は「どうすればいいですかね」と僕に尋ねてきた。この質問に僕はびっくり。「なぜ僕に尋ねるの?すぐに向こうと連絡を取って解決してほしい。電話でもファクスでもいいから」と僕。苦情係は「お客さんのインボイスの写しはありますが郵便局から直接外国に連絡をとってはいけないし、第一韓国語の分かる職員はいません。お客さんの方で解決していただけませんか」ときた。
 
 こうなると僕も頭にくる。「郵便局は顧客の郵便物を届け先まで責任を持って届けるのが仕事でしょう。確かに承りましたと言って品物を受け取った以上、あなたの方で何とかすべきではないでしょうか。それに数十人の職員がいるのだから、韓国語は無理でも英語が分かる人はいるんじゃないですか」。係りは「はあ、はあ」というだけで歯切れが悪い。「インボイスも写しがあるのだからインチョンに送ってくれませんか」。僕はインチョン空港の税関の電話番号もしっかり教えた。係りは「はあ。分りました」と煮え切らない返事。

 この電話に至るまでに僕は今回の個展の仲介をしてくれた日本語を話せる韓国女性と連絡を取りいろいろ調べ、郵便局に3,4回怒りながら電話をしている。その日の最後の電話で係りの承諾の返事を聞いてこれでやっと解決したと思った。

 ところが翌日の昼、仲介の韓国人女性から「インチョンの税関ではまだなにも連絡がなくインボイスも届いていない、どうするのかと困っている」とまた電話が入った。もうびっくり。すぐに郵便局に電話を入れる。昨日の係りに取り次ぐように頼むと2時ごろなのに係りは昼食に行っていないという。帰ったら電話をするように頼んだが、ちっともかかってこない。しびれを切らしてこちらからかけると、係りはいた。いるのに電話をくれなかったわけだ。僕が「まだ空港インチョン空港にインボイスが届いていない。どうなっているのか」と尋ねると、答えにならないことをぶつぶつと言っていたが、結局係は叱られたことですべてが終わったと思って何もしていないことが分かった。どうも頭を下げて聞くだけの係りのようだ。

 この郵便局は客を馬鹿にしていると思い、誰でもいいから分かる人を出してほしいと要求する。すると上司が出て、「その件は今本部で相談中ですのでいずれ後ほど連絡を入れさせていただきます。」という返事。喋り方からいつもの逃げの手でいつ返事があるのかわからないと思ったので「こんないつでも起こりそうなこと本部へ相談かけなくてもマニュアルがあるでしょう」と応酬。ついに本当に頭へきた僕は「局長を出してほしい」と申し出た。すると変わりに部長が出た。部長はその前に部下から概略を聞き「申し訳ありません。すぐにインボイスの新しい用紙を持ってお宅に伺わせていただきます」と答えた。「本部で検討しています、なんで逃げるための嘘でしょう」と僕は問い詰める。「はあ」ときた。

 暫くして(と言っても30分後)部長と苦情係がやってきて、僕はもう一度インボイスを書くこととなった。インチョン空港のファックス番号は前に知らせてあったが、郵便局側で打つとは一言も言わない。郵便局では海外のファックスは使えないという。しかたなく僕は自宅の電話でソウルにファックスを打った。彼らは一応は謝ったが新しいインボイス用紙を持ってくる以外何もしてくれなかった。

 しかしこれでやっと解決かなと思ったら、仲介人から電話が入り明日から韓国は長期の連休に入り平常に戻るのは10日ですと言われた。10日は個展のオープンの日。この日ギャラリーの誰かが混んでいるだろう空港へ行って作品を受け取りギャラリーまで戻り展示する。展示するのに1日はかかる。最初に電話をかけた日にきちんと対処していてくれたらこんなことにならずに済んだのに。もうめちゃめちゃだ。これが企業なら謝るだけでは済まない。きっと裁判を起こすだろう。

 ここで僕は考えた。郵便局の中では苦情対処係を誰にするかきっと困っているはずだ。そこで上司が選ぶのは、叱られてもピンとこないスイマセンスイマセンと頭を下げまくれる部下。意味も分からず頭を下げる。だから約束したのに何もせず謝ったからそれでいいと思っている人を選んでこの係りにしているのではないか。会話が不可能で頭を下げまくられると、こちらはどうすればいいか。今の僕は、このブログで書いたことでまあ怒りも少し収さまった。

 でもさらに僕は考えた。郵便局員は「インボイスの紙が無くなるはずがない。だからそうした場合の対処法のマニュアルもない」といった。その話を信じるなら韓国の税関がわざとインボイスを廃棄して日本人である僕をいじめようとしているのかもしれない。そんなことはないと思うが、10日になってもまだ理屈をつけて作品を出してくれなかったら疑ってみるべきだ。あまりの理不尽さにこんなことまで考えてしまった。

 僕の個展自体の事やどんな出品作品かはまたこのブログに載せるつもりだ。1年前のニューヨーク個展に続く個展は少ししんどい。まだ1週間前バリ島での美術展を終えたばかりでもある。まあいい。限りある人生だから何時までも愚痴ったり振り返っている時間は僕にはない。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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