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ボクとおやじのアートde お盆ナイト

ボクとおやじのアートde お盆ナイト

―山田彊一による紹介―
(小出ナオキと父、仲間たち展)
旧自宅を開放しての美術展


アートdeお盆ナイトパンフ表 同 裏

場所:西春日井郡豊山町豊場大門1・・200坪の旧小出家
期間:8月13日(月)~15日(水)  12時より

参加作家:小出ナオキ(主催者)+父
       三杉レンジ、中谷日出子、泉啓司、山内康嗣、鈴木詩織。かねこまき
       Anzutann, 山田彊一(特別参加)
お茶代(入場含む):500円(13日バーベキュー参加2000円)
  無料にしようとしましたが名古屋人は必ず手土産を持って民家へは訪れる。だからお茶代として少しいただいた方が皆さん気 にせず来ていただけるという思いです。
協力:ボンチャン会


主旨
 東京等全国で活躍する若い美術家たちの名古屋展。
今の日本の現代美術が活気があり面白いかどうかの尺度は、彼ら若い美術家の活躍にかかっている。もし面白ければ、彼らのやる気の賜物だろうし、つまらなければ彼らのやる気なさを表わすものとなるだろう。そんな尺度で美術展を見てみると面白い。まあ名古屋では珍しい美術展だ。

 この美術展は脳溢血で倒れたナオキ君のお父さんのせめてお盆ぐらいは千葉の老人ホームでなく名古屋の我が家で過ごしたいという要求から始まったとか。お父さんは元校長でこの地の教育に貢献した。美術も大好きで息子のナオキ君の展覧会には常に出掛け、息子の代わりに解説をしていたほどだ。そこでナオキ君は父も喜ぶだろうと空き家になっている実家を美術館にしようと思い付いたわけだ。お盆であるため檀家の和尚に相談したら「私も何かで参加できたら嬉しい」となった。小出君のこの地での美術展は初めてで父親の大学時代の同級生で恋のライバル?であった僕に相談に来て、話しているうちに僕も乗せられてしまったというわけだ。大学時代は文学好きの元松原名古屋市長の奥さんだった美女に憧れた二人。卒業後、彼は教育に専念し僕はアートの世界へ。数年前名古屋市美術館で奈良美智に感化された小出ナオキの作品に遭遇。その前でにこにこ笑い作品の解説をしていたのが友達だったナオキ君の父だ。そんなこともありナオキ君のアイデアで、今回の美術展を開くことになった。
 ナオキ君は車いす生活となった父親にもう一度作品解説をやらせ元気づけようと、自分にできる親孝行をと考え、この形の展覧会となった。親子関係が希薄となった今の社会ではホットなニュースだと僕は思うし、東京の若い連中の作品も見られ喜んで参加することにした。
 僕も会期中は毎日ここに詰めている。よかったらぜひいらしてください。


写真下:山田彊一の出品作 台北でも展示した閻魔大王の赤いチンチン
閻魔大王の赤いチンチン

小出ナオキ君の紹介

 数年前名古屋市美術館で開かれた「高橋コレクション」展を見に行った。入ってすぐのところに家族をテーマにした彫刻作品があった。他の作品と比べてもそれはダントツに輝いていた。そしてその作品の横でにこにこ笑いながら作品の説明をしている人がいた。何と僕の大学時代の友人の小出君だ。「何故ここで説明しているの?」と驚く僕に、「これは息子の作品だ。息子は現代美術をやっている」との答。こうして僕は小出ナオキ君と知り合った。  

 3年前「父が脳溢血で倒れた」とナオキ君から連絡が入り、僕はもうだめかもと思いお見舞いに駆けつけたことがあった。だが運良く助かり、今は車いすで千葉の老人ホームで暮らしているそうだ。「父はいつも僕のアートを支え続けてくれた」とナオキ君は言っている。
 そんな父親のためにナオキ君は美術展を開きたいと考えている。父の希望もあり、今回はお盆に、生まれ故郷の豊山町の元自宅に帰り、彼やその仲間たちの展覧会をやろうということに決めた。これは父が亡くなるまで檀家寺であるお寺の和尚まで巻き込んでやろうと思っているとか。

 彼は千種高校を出た後、東京造形大学へ行く。その間、奈良美智の指導も受け、現在はあの小山登美夫ギャラリーで作品発表をして、村上隆コレクションにも入っている。大学以降ずっと関東に暮らして名古屋のことは全然分らないので色々教えてほしいと僕に相談してきたので彼に代わってこの文を書いている次第である。

小山登美夫ギャラリー展示作品
小出ナオキ作品1 
名古屋市美術館「高橋コレクション」展示作品
小出ナオキ作品2
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エムバペのTシャツをゲット!

エムバペのTシャツをゲット❣

エムバペ (238x300)
写真右:サッカーのW杯ロシア大会でフランスの優勝に貢献した19歳のキリアン・エムバペ
 今年の5月の初め、名古屋とフランスのランス市の姉妹都市提携の記念式典があり、それを祝う美術展を当地で開催するためランス市を訪れた。そのついでに、パリやモンサンミッシェルにも立ち寄った。モンサンミッシェル向かう途中、バスが田舎のドライブインでトイレ休憩をした。そのドライブインのお土産売り場で僕はTシャツを買った。仲間の女性達がトイレに行っている間、ひまつぶしでお土産売り場をぶらぶらしていたら、Tシャツ売り場に目が行った。特に欲しかったわけではないが、そういえば、日本から着替えで持ってきたシャツが足りないことを思い出し、ここで買っておこうと思ったのだ。

 エッフェル塔や凱旋門等パリの名所の図柄が多いが、これはありきたりだからつまらないなと思っていると、サッカー選手のTシャツが何故か1枚だけ売れずにポツンと残っていた。僕はサッカーに詳しくないのでそのTシャツに書かれている選手の名前もチーム名も全くわからなかった。でもそんなことはどうでもよく、着替えにとその最後の1枚を購入した。値段はしっかり覚えていないが、高くなかったと思う。

写真下:モンサンミシェルへ行く途中立ち寄ったドライブインの中のお土産店
モンサンミシェルへ行く途中のドライブイン
 さて買ったTシャツを仲間に見せると、「山田先生、これはフランスではあまり知られていない控えの選手のTシャツですよ。だから最後まで売れ残っていたのよ」とサッカー通のおばさんにケチを付けられた。彼女は僕が買ったTシャツを見て、直ぐに超サッカーファンである日本の息子に電話を入れ情報を仕入れていた。

 僕にとってはただのTシャツにすぎず、その選手が有名であろうとなかろうと構わないが、ただなぜかこのTシャツは僕に買ってほしいとアピールするように1つだけ残っていたのだ。幼い時から僕のカンは不思議に当たる。ナンパするときも美術展で賞を取った時も、何かわからないがお告げのようなものが来る。一緒にいた仲間の馬場さんはたくさん積まれているフランスのサッカークラブの帽子を買った。

 さてその翌日、僕がこれを着てシャンゼリゼ通りを歩いたら、驚くべきことが起った。レストランのボーイや通りすぎる若者の多くが僕のTシャツを見て、オー、と言った感嘆の声をあげ、Vサインやトレビアン、シュペール!というような声を発していく。僕は例えば名古屋へ来た外国人がドラゴンズのTシャツを着て栄を歩いていたら、それを見た名古屋人は「あ、外国人も名古屋を応援してくれている」と感じて悪い気はしないのと同じぐらいに思っていた。こんな場合日本人はにこりとするくらいだが、こんなにもオーバーに感嘆の声をあげて僕に喜びを伝えてくれるのはヨーロッパ人だからなのだろうと思っていた。でも内心悪い気はしなかったし、このTシャツを購入してよかったなと思った。馬場さんも買ったばかりの帽子をかぶっていたが、これには誰も特に反応は示さなかった。
写真下左:パリ市内で仲間たちと、一番左が前日に買ったTシャツを着た僕 右:買ったばかりの帽子をかぶった馬場さん
Tシャツを着た僕 帽子をかぶった馬場さん

 さて日本へ帰ってからも普段着として着ていたが誰も何も言わなかった。その後サッカーワールドカップが始まった。日本が予想外に勝ち進み、サッカーにあまり関心がない僕もテレビに釘付けになった。しかし日本が対ベルギー戦で惜しくも負けた後は見なくなり、ニュース番組でどの国が勝ったか知るくらいだった。W杯がフランスの優勝で終わって1週間後、偶然あのTシャツをカルチャーセンターの授業に着ていった。

 カルチャーの教室へ入るとすぐに、僕のTシャツを見て驚きの悲鳴を上げたのは、フランスで残り物のろくでもないTシャツを買ったとケチをつけたサッカー通のおばさん生徒だった。
「先生、そのTシャツ、あのエムバペだったんですね。今、ネットで売りに出せば数万で売れますよ。W杯前に日本で来ていたのは先生ぐらいですよ。少しくたびれているのもかえって値段を高めます。エムバペは19歳だけど10代で決勝戦の中、得点を奪ったのはサッカーの神様と言われるペレ(当時17歳)以来です。やはり先生には妖怪が乗り移ってます。すごいですね」と自分がフランスで発した蔑視発言を妖怪話に置き換えて逃げ切っていた。

 その日の夕方、帽子を買った馬場さんも偶然我が家へやってきて「先生、あの時買ったTシャツ、エムバペだったんだよね。僕はあの時パリのサッカーチームの帽子を買ったよね。そのこともありフランスVSクロアチア戦は眠い中、最後まで見ていた。翌日帽子をかぶり喫茶店に行ったら帽子をかぶっているだけで、僕はヒーロー扱いだった。帽子ですらそうだから、先生はもっとすごかったでしよう」と言った。

写真下左:エムバペのTシャツ全面 右:背面
エムバペのTシャツ前面 エムバペのTシャツ背面 

 僕もテレビのニュースを見ていてフランスの19歳の選手がものすごい勢いで走り、ボールをゴ―ルに決めるのを見ていてその群を抜いた凄さに感動はしていた。でもそれが僕のTシャツの選手だったなんて思いもしなかった。僕がTシャツを着てシャンゼリゼを歩いたときのことがよみがえった。でもあの時はW杯前だったから今ほどエムバペ選手が騒がれていなかっただろうけど、フランス人は彼のことをよく知っていたのだろう。それにT シャツをよく見るとパリ・サンジェルマンFCの文字があり、パリっ子にとってはまさに地元のチームだから、みんなぼくのTシャツを見て興奮したわけだ。

 そのことが分かり喜んだ僕は、すぐさまそれを着て藤井達吉美術館の「長谷川利行展」のオープニングに出かけた。中年以上の招待客が大半を占めて数百人はいたけれど誰も僕のTシャツには気付かなかった。やはり日本ではサッカーファンではない限りまだ誰も気付いてくれないようだ。でもこんなうれしい偶然に出会えて感激だ。これから外出するたびにこれを着ていこう!




「芸術をめぐる物語」 山田彊一講演

「芸術をめぐる物語」 山田彊一講演


講演パンフ
山田彊一講演
テーマ:「ランス(仏)と名古屋、美術の今」
日時:2018年7月15日(日) 14時~16時
場所:カルチエ・ラタン 
名古屋市千種区池下町2-28 
℡052・751・8033
地下鉄 池下駅下車北徒歩3分



 名古屋画廊は「芸術を巡る物語」と題した特別講演シリーズを全6回にわたって行っており、その5回目が僕の講演となるので、ここでちょっと紹介させていただきます。

 僕の講演は、上記のようにフランスの都市ランスと名古屋、そして美術に関することですが、そういうお話をすることになったわけを少しお話します。
 
 名古屋市はフランスのランス市と昨年秋に姉妹都市提携をし、そして今年5月、河村市長はそれを祝う記念式典に出席するため当地へ出掛けました。この記念式典に僕は仲間や生徒さん達22人と参加し、美術展を同時開催し、ランス市長や市の関係者そしてランス市民と交流し姉妹提携を祝いました。

 この20年~30年の間で日本人がランスで展覧会をするのは初めてのことではないでしょうか。展覧会のポスターは僕の妖怪画をアレンジしたものです。会場は世界遺産であるランス・ノートルダム寺院のすぐ隣のランス市ギャラリーだったので、きっと教会の神様は僕の妖怪画にたまげていたことでしょう。このノートルダム寺院は真夜中にもたくさんの人々がお祈りに訪れており、この街の安全さを実感しました。

 僕らの美術展のオープニングには河村市長も応援に駆けつけてくれてテープカットと彼のカラオケの定番である「お袋さん」を歌って盛り上げてくれました。
 この街にはあの藤田嗣治の作った教会、フジタ礼拝堂がありたくさんのフレスコ画作品も見ることができます。

 僕が見てきたフランスの現在の美術状況、ランスの街やフジタ礼拝堂、ちょうど僕らが滞在していた頃にあったISによるパリオペラ座襲撃事件などから見るフランスの社会事情等を、映像を交えお話をしたいと思います。また名古屋市はこれまでメキシコシティやロスアンゼルス、南京、シドニー、トリノと姉妹都市になっています。名古屋市が今回どうしてランスと姉妹都市になったかについても触れたいと思います。
よろしかったら聞きにいらしてください。

長春で見た旧日本軍のガス室

長春で見た旧日本軍のガス室

旧大和ホテル玄関ホール
 先日、僕のコレクターであり、教え子でもあるN君に連れられて長春へ行ってきた。この街は人口370万人で名古屋よりはるかに大きい。僕は李香蘭こと山口淑子や川島芳子が泊まったという旧大和ホテルに泊まりたかったけれど、N社長のスタッフが気を利かせて大ホテルに宿をとってしまっていて駄目だった。

ホテル2階ロビーに掛けてある李香蘭の写真

 旧大和ホテルはかつては最高級ホテルだったが、老朽化して今は三ツ星ホテルになっている。
写真右:旧大和ホテルのロビー、老朽化が進んだと言えどもなかなか立派だ。

 だから旧大和ホテルへはコーヒーを飲んで休憩するためだけに立ち寄った。中国で初めておいしいと感じたコーヒーだった。でも山口淑子や川島芳子の顔が浮かんだからおいしいと思ったのかもしれない。
写真左:旧大和ホテル2階のロビーに飾られている李香蘭の写真


旧関東軍司令部
 ここ長春では数年前から歴史的建造物の解体禁止令が出て日本人が建てたホテルや関東軍の司令部、その他十数件の建物が崩壊を免れていた。それらの建物は戦後から長く使われていたにもかかわらず重厚で新しいビルと比べても引けはとらない風格があった。「どうだ。日本人の建てるものはすごいだろう。悪いこともしたけれど、いい遺産を残しているのに何故中国人は認めないのか」と中国人のスタッフにN社長は威張って見せる。「社長、日本人は中国人のためにいいものを作ったのではなく、日本国のために建てたのでしょう?」と、女性スタッフに逆襲されていた。
写真右:旧関東軍の司令部。今は共産党の施設として使われている。写真を撮るとスパイとして捕らわると脅されたが。

 今回の僕の長春旅行最大の狙いは2つ、ここ、長春の現代美術の状況を知ることと満州国皇帝溥儀(ラストエンペラー)の宮殿を見たかったことだ。まず1つ目の現代美術だが、ここ長春には現代美術は全くないと言って差し支えなかった。たくさんのギャラリーが入居しているビルに寄ったけれど美術作品と呼べるものはなく、旧態然としたお土産用、素人用の歴史物作品群が展示されているに過ぎなかった。

 北京にある世界的に有名な「798芸術区」はかつての工場跡地が現代美術の画廊やそれに関係した芸術特区になったもので、世界から多くの美術関係者やファンが訪れている。僕も幾度か訪れてその大きさ(60万平方メートル)やダイナミックな発想に驚かされた。だが僕が会ったここ長春の人々は中国国内の事なのにそのことをまったく知らなかった。ここは名古屋そっくりだと思った。井の中の蛙なのだ。「私は日展の会員です」と威張って京都の画廊で自己紹介をして、人々の嘲笑を買っていた名古屋の画家がいたことを思い出した。東京や京都、大阪では日展の会員であることは三流画家の証明なのだ。

 僕は若い頃名古屋を出たかったが両親に説得されて名古屋に住み続けた。しかし名古屋の文化芸術レベルに満足してはお終いだと東京や関西、さらには外国でも発表をし続けてきた。常に井の中の蛙になるなと警鐘を鳴らしているから、外の世界を知らない名古屋人に今でも叩かれている。でも叩かれるということは自由に生きているという証明になるから僕は気にしない。

偽満皇宮博物院正面
 次に溥儀の宮殿だが今は「偽満皇宮博物院」という名の博物館(写真右)になっている。こんな名前は日本ではまず付けない。あくまでも日本の傀儡国家、欺瞞の満州国を強調したいのだろう。しかし中国人の立場に立てば正式な中国人の王朝とは認められないから偽という字を付けたのだろう。入場料は千数百円。ところが日本人の僕のパスポートを見せたら無料になった。年寄りで日本人なら一番憎く、入場料を数倍取りたいだろうにと何とも言えぬ身の置き場の悪さを感じた。
写真下:偽満皇宮博物院入場券
偽満皇宮博物院入場券

満州国皇帝溥儀
 入って最初の建物内の展示は溥儀(写真右)の紹介から始まって彼の寝室、皇后の部屋、側室の部屋等々とつづく。女性の部屋のベットがダブルであるのは平安時代のように皇帝のお忍びのためであろうか。エリア内の庭や門の作りはほぼ日本のどこかで見たようなものだった。そうだろう、ほとんど日本人が作ったのだから。

 ここを出て次のコーナーへ行くと展示は激変する。ここはあまり思い出したくもない場所だ。というのは戦争体験のない僕ですら顔を背けたくなる写真ばかりだからだ。ここの資料の整備が完全に終わったのは数年前らしいが、これでもかこれでもかと日本軍人の残虐さを見せつける展示のオンパレードである。
 日本軍に軍刀で脅されこき使われる等身大の黒塗りの民衆群像。高さが10メートルもある残酷なレリーフ群。日本人に斬首される中国人の男。さらし首になった無数の顔。中国人をガス部屋に入れ死ぬ状態をガラス越しに観察している日本の学者。こんなことドイツはやったが日本人はやってないと習ったがそうでもないのか。もし間違いなら断固抗議すべきだがしないのは事実ということなの?これでもかこれでもかと畳み込む写真や彫刻の展示。日本では見たことのない残虐な掲載写真群。この写真を見てこれが日本で紹介されていないということは我が国も中国のようにマスコミに規制をかけているのではと思えてくる。
写真下左:斬首された首  右:ガス室の様子を見る日本軍人
斬首された首 ガス室の様子を見る日本軍人


防空壕内部
 汗をかきやっと外に出て帰ろうとしたら、「防空壕➡」の小さな看板を見つけた。僕の年代はこの文字に郷愁を覚える。郷愁というにはちょっと語弊があるかもしれないが、防空壕には恐怖や怒り、そしてここに逃げれば大丈夫という安堵の思いがある。幾度もここに入りB29が落とす爆弾から身を守り、アメリカ軍に敵意を覚えたことを思い出す。
 ここの防空壕は建物から離れた小山の下に地下への20m程の階段があり、下には部屋が5室ほどあった。空調設備もあり、僕らが日本で入った土饅頭のようなものとは違っていた。ここに入ったことで自分も被害者だったことを思い出し気持ちは少し楽になった。

写真右:庭に掘られた防空壕内部。皇帝たちの避難場所だから頑丈に作られている。

『名古屋・妖怪三十六景』プラス3点

『名古屋・妖怪三十六景』プラス3点

 これまで名古屋やその周辺の妖怪を紹介してきたが、前回、36番目の妖怪を紹介したのでこれで完結となった。そこで『名古屋・妖怪三十六景』という本として出版すべく、絵や草稿文はすべて出版社に送った。出版社が絵を見、文を読んで、OKが出ても何時の出版になるかはまだ分からない。以前のブログでも書いたが、途中でタイトルを「名古屋・妖怪三十六景」に変えて妖怪画は36に絞ることにした。それまでは数を気にせず描いていたので、終わってみれば3点程残ってしまった。それらをこのブログ上で紹介させていただきたい。

 これらはふざけすぎかもしれないので降ろしてまった妖怪画だ。ご存知のように僕は実在の人物でもなんらかの点で傑出していると妖怪にしてしまっている。この今の名古屋圏でもし妖怪に一番近い人がいるとするなら将棋の藤井聰太君と河村市長だろうと思う。数十年後、聡太将棋神社ができているかもしれないし、あの河村市長も出来上がる木造の城のおかげで河村明神とでもささやかれるのではと思っている。東京や大阪の仲間に聞くと、何故面白くもなく行きたくもない堅物の名古屋の街に、彼のような市長が登場したか信じられないと言う。でも肯定的な評価の人が案外多い。

㊲「徳川美術館&市長妖怪」
出現場所:徳川美術館付近から名古屋城


 僕が描いた市長妖怪は単独ではなく、市長の家から数百m西にある徳川美術館(僕の家からも歩いて3分)所蔵の国宝源氏物語絵巻と掛け合わせたものだ。この源氏物語絵巻は絵画として最初に認定された国宝で名古屋一の宝物だ。わざわざこれを見に国内外からたくさんの人が名古屋にやって来る。でもどうだろう、名古屋でこの絵巻を見た人は1%いるだろうか。逆に河村たかしを知らない人は1%もいないであろう。河村家はかつて尾張藩の図書奉行だったとのこと。そこで源氏絵巻の光源氏や紫の上を絡ませ、壊れた自転車に乗った市長を並べて描いてみた。
 先日フランスのランス市で行われた名古屋市との姉妹都市提携記念式典の折、僕たちはランス市ギャラリーで美術展をして市長にテープカットしてもらった。その折「市長さんを妖怪にして絵を描きましたよ、いいですか」と打診し一応の妖怪画掲載の了承は取った。けれど僕は特定の政治家を応援したりしない主義なので、変に誤解を与えてはいけないと思い、今度本として出版する「名古屋・妖怪三十六景」には入れないことにした。作品右下には筆を持った僕も小さく描いてみた。横浜から来た2歳になったばかりの孫がこれを見て「ジーちゃんだ!」と叫んだ。これが僕と分かるとは、さすが孫だ。


「徳川美術館&市長妖怪」

徳川美術館&市長妖怪


㊳「藤井桃太郎妖怪」
出現場所:瀬戸市付近から犬山桃太郎神社一帯


陣屋の紹介ページ
 藤井桃太郎妖怪もまだ妖怪の卵だし、映像権等に引っかかるかもと思い降ろさせてもらった。彼の行きつけのオズモールのラーメン屋さん(陣屋)の息子さんは僕の美術の教え子だ。この店のラーメンはすごくおいしい。かつて僕等美術仲間で『食べる美術館』というグルメ本を出した時、この店を紹介した。店の宣伝の文も絵も描かせてもらい、店主を描いた僕の作品も店内に飾ってある。藤井桃太郎妖怪もラーメンの出来上がりを待つ間、若き日の店主を描いた僕の絵を見ているかもしれない。
写真右:藤井桃太郎妖怪の好きなラーメンの陣屋。僕の描いた20年ほど前の絵や文。
 実在人物ではないが実在の動物、昨今人気の東山動物園のイケメンゴリラ、シャバーニにも登場してもらい、藤井桃太郎妖怪の猿として描いてみた。


「藤井桃太郎妖怪」

藤井桃太郎妖怪


㊴「亡霊 今川義元」
出現場所:桶狭間古戦場付近


 三番目は今川義元だ。桶狭間の戦いでは戦場に行くのに輿に乗って行き、討ち死にした。亡霊となった義元は雪辱を晴らすべく、今度はヤマハのオートバイに乗って出陣する。果たして亡霊合戦では勝てるだろうか。しかしバイクの排気口からは黒い幽霊が顔をのぞかせているし、前輪がうなぎを轢いて滑りそうだ。

「亡霊 今川義元」

亡霊今川義元


 今回の本がうまく行ったら今度は京都の妖怪を描いてみたいと思っている。名古屋は僕の生まれたところであり、先祖も清州越しの時からずっと名古屋に定住していたから情報は多く、アイデアはいくらでも出てきて描きやすかった。だが京都はそうはいかない。歴史があり妖怪がうじゃうじゃいそうな京都、いたるところに妖怪話がありそうだが、これを戦後の絵描きが描いた形跡がない。昔からある妖怪話や妖怪絵が登場するだけで、新しい視点で描かれたものが見当たらない。

片方目玉の妖怪作品
 僕は京都では幾度も個展をしているし、コンクールでの大賞もある。僕が個展をしたギャラリー16のあるビルの2階には全フロアーで古い妖怪グッツのような小物が売られている。そこでは妖怪人形にはめ込む目玉も2個購入し我が家の応接間で客をにらみつけている。
写真右: 京都で購入した目玉の一つ
 僕にとって京都は相性のいい街だと思われる。新しい妖怪を見つけに何度も訪れるつもりだ。一寺、一神社に一つ妖怪を探し出し描いてもいいとも考えている。名古屋同様、気になる出来事があったら教えていただきたい。どこどこの寺でどんな妖怪?に遭遇したとかいった情報など。
地元名古屋の妖怪の次はニューヨークの妖怪を描いたが、今度は真逆の日本の古都京都だ。クリエイティヴな視点で千年の都の新しい妖怪を見つけたい。


カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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