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「描かれた人びと」展と「KAZEの会」展

「描かれた人びと」展と「KAZEの会」展

 今回は僕の作品が展示されている2つの美術展を紹介させていただきたい。

1.「描かれた人びと」展:刈谷市美術館にて 2019年2月21日〜4月7日まで

描かれた人々展会場風景
写真上:会場風景 中央角の右側が僕の作品

 まず「描かれた人びと」展は、刈谷市美術館がこれまでに購入したり寄贈を受けたりした作品の中で、人物を描いた作品を選び展示した美術展だ。あの岸田劉生や北川民次と言った大御所や日展から飛び出して暴れまくった中村正義、しばらく前まで二科展の親分をやっていた安藤幹衛、自分の遺産の1億円を出し若い子のために賞金付きのコンクール「星野眞吾展」を毎年開催している日本画家の星野眞吾、長いこと週刊誌『FOUCUS』の表紙絵を描き、京都美大の学長で僕とも仲のよかったサンパウロビエンナーレの大賞作家三尾公三さん等の作品が展示してある。僕の作品は講談社の美術全集に載ったモノクロで墨や和紙を使ったものが展示してある。

山田彊一作品
 先日、刈谷美術館へこの展覧会を見に行った僕の教え子が「先生の作品が一番目立っていた。先生が亡くなると僕は相当儲かるかもしれない」と言っていた。
写真右:僕の作品
 彼は僕の大きな作品を中心に20〜30点買って持っていてくれる。だから褒められるのはうれしいが、教え子が相当儲かるためには責任重大で更にがんばらなくてはいけない。僕の作品を買って持っているその他の人のためにも、もう描くのを辞めてのんびり残りの人生を送るつもりだとは言えないし、そういうつもりは毛頭ない。

 今僕が大きな現代美術作品と並行して妖怪画を描いているのも、将来、そして死後にもあらゆる可能性を残しておきたいからだ。僕の妖怪画が歴史に残れば他の作品の価値も上がるかもしれない。またその逆もあるのだ。でも描くことをやめ、のんびり余生を送っていたらそれ以上の発展はない。もうおしまいだ。僕は死ぬまで現役で描き続け、可能性を高めたい。50年、100年後には僕の妖怪たちが暴れまくっていることを願っている。そのためもあり京都妖怪画も描き始めている。

 僕の周辺にいたライバル画家たちはほぼ消えてしまったか、描くのをやめてしまった。大会社を経営し、美術館も所有している僕の友人も「死んだらおしまいだろう。そんなことを考えずにのんびりしろ」と言う。いやー、男はそんなことでも考えないと今後生きていけないからね。最近は終活という言葉をよく耳にする。妻の友人達の中でも死を迎えるための終活を考えている人もいるとか。アホか!もう終活に入った瞬間に希望は消え生きる意義もなくなる。もう死んだも同然だ。そういう人は勝手に死んで周囲にその毒素を振りまくなと言いたい。

2.「KAZEの会」展:名古屋市民ギャラリー栄にて 3月26日〜3月31日まで

KAZEの会展

 僕の教える朝日カルチャーのKAZEの会のメンバーにはそんな思考の持ち主は一人もいない。死ぬまでの時間を持て余し、写経でもするように時間をつぶすだけの生き方をしようなんて誰も思わない。一度会場にきて見てほしい。風景画という狭い中での作風で大きなコンクールには不利だけれど、常に何か新しいことを見つけ表現しようとしている。技術的に絵がうまいのではなく、個性があり自分の世界を描いているのだ。他のカルチャーや美術展の風景画と比べてほしい。きっとびっくりされるであろう。行かれたら受付のメンバーに声をかけてほしい。みな若々しく目が生きているから。中には三重県関宿や岐阜県神戸町から通って来ている人もいる。

鈴木知子展
 僕の教えるもう一つの中日カルチャーの版画教室の生徒さんはもっとすごい。長崎でセミナリオ国際版画コンクールが先日おこなわれたが、昨年に続いて今年も10人程の受賞者のうち2人、70人程の入選者のうち7人がうちのメンバーだ。もうめちゃくちゃすごい成果で元気がいい。美大の学生だって目じゃない。終活なんて考えもしていない。この教室には福井県や奈良県、岐阜県各務原市から通ってみえる人もいる。その中には80歳を優に超えた人もいる。しかもその人達、この秋に行うアテネでの美術展にも僕と出掛け、作品発表をするのだ。そのうちの一人が今、千種の5/R&Hall Galleryで個展をしているから見てほしい。名前は鈴木知子さんだが彼女はこれまでたくさんの国際展や全国展で賞をもらっている。やる気満々で60代だけれど30代にみえるから。
鈴木知子個展
5/R&Hall Gallery ℡:090-9812-8713(3月15日〜25日まで)

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山彊創作『京都・妖怪三十六景』 ❼本能寺・信長を消した三本足蛙

山彊創作『京都・妖怪三十六景』
❼本能寺・信長を消した三本足蛙

 1582年6月2日の早朝、本能寺に宿泊している織田信長を、突然明智光秀軍が攻囲し信長を自害に追い込んだ。だが信長の亡骸はどこにも見つけられなかった。光秀にとっては遺体を見つけその首を三条河原に晒さなければ謀反の大義名分を得ることができない。また各大名の加勢も得ることが難しい。遺体が上がらないことを察知した秀吉は「信長様は生きている」とデマを飛ばし山崎の合戦で勝利を得たともいえる。どうして遺体が発見できなかったのか。

本能寺大寳殿
 これについては諸説あるが、秀吉が再建した本能寺に行って面白いことに気付いた。僕が50年程前、京都で最初に個展をしたギャラリーのすぐ近くにこの本能寺があり、その後京都へ行くと時折り寄っていた。そこには本能寺が焼失し燃え残った遺品の中に三本足の蛙の香炉があり、それが一番の宝物として展示されていた。
写真右上:本能寺大寶殿のチケットにのっている三本足の蛙の香炉

 この香炉は本能寺の変の前夜に泣きだし信長に異変を伝えたという。三本足の蛙は中国では青蛙神と言って蝦蟇仙人の弟子であり、天災を予知する霊獣と称されている。この蛙は信長を救うことはできなかったが、代わりに信長の遺体を消してしまったのではないかと僕は考えたのである。蛙は長い舌で一瞬のうちに獲物を飲み込んで消してしまう。

猿飛佐助
 実在ではないが講談などに登場する猿飛佐助は蝦蟇蛙に乗って呪文を唱えると煙と同時に消えてしまう。講談や漫画本によれば猿飛佐助は真田幸村に仕え、その後秀吉にも仕えている。
写真左:僕が小学生のころ読んでいた杉浦茂作の猿飛佐助、蝦蟇蛙に乗ってドロンと消える前
 蛙は秀吉のお気に入りで大阪城には秀吉が特に好んだ蛙石があった。(現在は、奈良元興寺に移動)また、有名な備中高松城を水攻めにする時に築いた堤は偶然かもしれないが、蛙ヶ鼻と呼ばれる場所だった。



 僕が描いた三本足蛙には猿飛佐助が乗っているが、実はこの蛙を操っていたのは秀吉であり、信長亡き後の天下を我が物にするために秀吉が仕組んだ策略であったことを表わしたものだ。煙は千成瓢箪となり蛙の足は明智の桔梗紋を踏みにじっている。

❼本能寺・信長を消した三本足蛙

本能寺三本足蛙

山彊創作『京都・妖怪三十六景』 ❻伏見稲荷化け狐

山彊創作『京都・妖怪三十六景』
❻ 伏見稲荷化け狐

 日本を訪れる外国人観光客が一番よく行く観光地は京都で、その京都の中でも断トツなのは伏見稲荷だと言われている。何故だろう。というのも僕は若い頃から、幾度かの個展や展覧会等のために京都へ数えきれないほど来ているが、一度も伏見稲荷には行ったことがないからだ。それにかつての京都の定番観光スポットは、金閣寺や銀閣寺そして竜安寺だったのだ。それが最近伏見稲荷にトップの座を奪われてしまった。

果てしなく続く赤い鳥居
 きっとここにはドルや元に目がない化け狐妖怪が住み着いているに違いないと妖怪ハンターの僕は考える。神社本殿の裏にある稲荷山めぐりでは、神様のもとに通じるというどこまでも続く真っ赤な鳥居が、外国人にとってはエキゾチックでインスタ映えして超人気のようだ。でもこれだけが人気ナンバーワンの理由ではないと思う。こんなチャチな鳥居だけで人が呼べるなんて賢い化け狐妖怪は思っていない。
写真右上:インスタ映えがすると言われている真っ赤な鳥居 

重軽石を持ち上げる観光客
 山めぐりをしてみると分かるのだが、ここはまるで山全体が和風アミューズメントパーク化している。例えば山の中に数多く点在している神社の一つでは持ち上げた石が軽いと人生が快調であり重いと何か重圧に苦しんでいるという占い石がある。中腹にある池に呼びかけて、こだまが帰って来たら、その方向に尋ね人ありで、目の悪い人、頭の悪い人用の神社もある。竹林が続くと思ったらそこには「かぐや姫」が祭られていたりする。次々変化があって楽しい。観光客はそれぞれの場所で石を持ち上げたり、叫んだりして楽しむ参加型神社なのだ。
写真上:重軽石を持ち上げる中国人女性

 また交通のアクセスもいい。新幹線の京都駅を出て目の前に見える伏見稲荷行のJR奈良線に乗れば5分程で着く。降りれば目の前が神社だ。これも急ぎの外国人観光客には便利なことだ。また、ここでお祈りして、願い事が叶ったらもう一度お礼参りに来ないと祟りがあるとのこと。さすが商売の神様だ。こういったこともすべて化け狐妖怪が仕組んで、観光スポット№1に押し上げたのではないか。うーん、賢い狐だ!

 京都伏見稲荷は白い狐が守り神の神社で起源は奈良時代の711年までさかのぼるという。ではどうしてここは狐が守り神なのか。田畑を荒らすネズミを狐が食べてくれることが理由だが、中国の古典書「山海経」がルーツのようだ。狐と油揚げの関係については、学者の池田清彦によると「狐はネズミが好物で、大事な穀物を守ってくれる。そのお礼に鼠を供えていた。天保の頃、豊川稲荷の門前では揚げたネズミが売られていたが暫くして豆腐を薄く切ってあげるようになった」とか。

 僕の創作した「伏見稲荷化け狐」は赤い鳥居が狐の足になっている。鳥居の根元にはドルと元が、鳥居の上には鼠の髑髏がのっている。だから鳥居の下をくぐる度に狐のまたぐらをくぐっている気分になる。鳥居は寄進によって増えるので狐も増殖していく。そんなところを絵にまとめてみた。


❻ 伏見稲荷化け狐  図

伏見稲荷化け狐

北野天満宮の四角鉛筆?

北野天満宮の四角鉛筆?

 昨年秋名古屋の妖怪画集「名古屋・妖怪三十六景」を出版した。そこで次は「京都・妖怪三十六景」を出そうと思っている僕は、最近京都へよく出かける。その都度このブログでも紹介させてもらっているのでご存知の方も多いと思う。先日も妖怪探しに京都の安倍晴明神社と北野天満宮を訪れた。

北野天満宮の鉛筆
 北野天満宮と言えば、学問の神様が祭られている有名どころ。というわけで今中学3年で受験に向けて頑張っている孫のために桐の箱に入った合格鉛筆を購入した。箱にしっかりおさまっているので中身は勿論見ない。妻はそれを孫に渡した。その後、孫からお礼の電話があり、妻は「あの鉛筆は五角形だったでしょう?」と尋ねていた。「いや、四角形だったよ」と孫は答えていた。
写真右:北野天満宮の鉛筆 文字が半分しか書かれていないのは試験場でカンニングしないように何も書かれていない鉛筆を使うように指示するところがあるからだとか。

 妻は真っ青になった。合格の五角形の鉛筆だと思いこんでいたからだ。四角だと失格みたいだ。「四角だなんて縁起でもない。あなたはまた余分なことをして、受験に失敗したらどうしてくれるの?」という非難のオーラが、言葉にはならない圧力としてひしひしと伝わってくる。だがどうして学問の神様の総本山として知られる北野天満宮で縁起でもない四角い鉛筆を売るのか。怒鳴り込みに行きたい気分だった。こんな鉛筆を買ってきたことで肩身が狭い。

 だが待てよ、合格祈願用に売られている鉛筆が縁起の悪い鉛筆として売られるわけはないと思い調べてみた。四角は「五を欠く(合格)」という意味だというのだ。しかも机の上から転がって落ちることもないし、ということらしい。この四角鉛筆はここだけでなく湯島天神でも売られているらしい。縁起が良い悪いは、その捕らえ方によってどうにでも変わる。要は語呂合わせだから。敵に勝つということでビフテキとカツを食べるのもその一例だが、これだって敵が勝つとだって考えられる。

 でも僕の考えでは、やはり一番素直に捉えてちょっと考えれば誰もがすぐ納得する語呂合わせの方がいい気がする。例えばタコを机の上などに置くと合格するというオクトパスなど、くすっと笑えて面白い。合格鉛筆は五角形の鉛筆の方が自然だ。北野天満宮や湯島天神は天満宮系の神社の中では格式も知名度も高い。うちの神社は格式の低いそんじょそこらの神社とは違います。だから下々で売っている五角形の鉛筆ではなく格式の高い四角形の鉛筆なのです。すぐネタバレする語呂合わせではつまらないでしょう。」とアピールしているのだろうか。

のお守り伏見稲荷の合格祈願
 さて妻へのリベンジ?というわけでもないがまた京都へ行く機会があったので、今度は伏見稲荷でよくある袋型の合格祈願のお守り(写真左)を買ってきた。言い伝えによれば、願いが叶ったらお礼参りにまた行かないと祟りがあるそうな。そういうわけで京都詣では続き、神社は商売繁盛となるわけだ。

山彊創作『京都・妖怪三十六景』 ➎八坂妖怪・牛頭(ごず)天王とえびす(えべつ)様

山彊創作『京都・妖怪三十六景』
➎八坂妖怪・牛頭(ごず)天王とえびす(えべつ)様

八坂神社正門
 八坂神社の祭りは夏の祇園祭と冬のえびす大祭で盛り上がる。
写真右:八坂神社正門
日本三大祭と称される祇園祭は33基の山鉾巡業が見もの。京都の夏の風物詩でもある。
 八坂神社の祭神の一人が牛頭(ごず)天王で、平安時代から疫病神として畏れられ信仰を集めていた。夏、京都の民は疫病を克服したとして祭りで喜びを爆発させる。
 
 牛頭天王は釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神とも言われている。牛頭天王は天国の入口がある須弥山にいる武答神の息子で7歳になった時、背丈は7尺5寸で3尺の牛の頭を持ち3尺の赤い角があったという。太子は王位を継承して牛頭天王を名乗るが、后を迎えようとするものの、その姿形の怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになった。この天王に大海の龍王の姫を娶るように仕向けたのが人間の言葉を話す鳩だった。

京都山鉾
 牛頭天王は、平安時代から疫病神として畏れ崇められてきたが、やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになった。これが京都の祇園祭の起源である。怖い天王を神に祭り上げ封じ込めてしまおうとするのが祇園祭というのだ。誰が最初に考えたか知らないがさすが都人、面白い。
写真左:八坂神社の山鉾の一つ


 ヒマラヤ山中にあるという伝説の須弥山には、僕も50年ほど前ヒマラヤ山中に行った折その入口を探してみたが、当然のことながら全く見つけられなかった。そこで須弥山の門番である青鬼を喜ばせて入り口の場所でも教えてもらえないかと、その近くの岩肌に当時大人気だったグラビアアイドル、アグネスラムの裸を転写版画してきたことがある。現代美術のパフォーマンスアートの一環でやったことだ。そんなこともあり牛頭天王には思い入れがある。

八坂神社内の蛭子社
 もう一方のえびす大祭は七福人の一人であるえびす様を祭り商売繁盛に結び付けようとする祭。
写真右:八坂神社内の蛭子社
 
 祭りは「商売繁盛笹持ってこい‼」という掛け声で四条通りを西に進む。えびす様は七福人中唯一の日本の神様で髭を生やし鯛を抱き釣竿を持つ。イザナミ、イザナギの第三子で三歳になっても歩かないため楠でこしらえた船に乗せられ捨てられる。漂着した浜の漁師に祀られたのが信仰の始まりで、身体の異常は女神であるイザナミから先にイザナギに誘いの声をかけからとか。京都女が謙虚で優しいのはそんな反省があるからなのか。

 
チベットラダックのお寺の牛神

 僕が描いた妖怪絵(下図)は牛頭天王にえびす様が乗っかってご満悦な場面。紙吹雪が飛んでいかにも祭りらしい表現にしてみた。牛頭天王はチベットに伝わる寺院壁画の牛神(写真右)を参考にして描いている。作品中牛頭天王に鼻リングが付いているのは、これ等のお話、「結局は人間が作ったんだよね」と言いたいからだ。





➎八坂妖怪・牛頭天王とえびす様 図

八坂妖怪


カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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